日本のアカデミアが多くの問題を抱えている——そうした認識が、広く共有されるようになってきた。論文出版数やその引用数で見た「研究力」の低下が指摘されて久しく、現場からは資金不足への悩みや、研究に時間が割けない苦しみが聞こえてくる。しかし、少し視野を広げれば、こうした問題は日本に限ったものではなく、各国で共通して取り組むべき課題も多い。世界中から現役の研究者が集まり、各国の視点からアカデミアの抱える構造的問題を話し合う国際会議が2月3日に開催された。
会場となった東京都港区の日本学術会議講堂
「若手アカデミー」が企画、25カ国570人超が参加
「持続可能な社会のための科学と技術に関する国際会議」は、日本学術会議が2003年からほぼ毎年実施してきたもので、今年は「持続可能なイノベーション創出のためのエコシステム~2040年の科学・学術と社会を見据えて~」と題して開催された。本イベントを主に企画したのは、45歳未満の研究者からなる日本学術会議「若手アカデミー」のメンバーである。若手アカデミーは2023年9月に報告書「見解:2040年の科学・学術と社会を見据えていま取り組むべき10の課題」(以下、「10の課題」)を取りまとめており、議題はこの報告書を軸に構成されていた。
会議開催委員長の加納圭さん(滋賀大学教授)が司会を務めた
4つの基調講演とパネルディスカッションからなる半日のプログラムには、インド、オーストラリア、韓国、中国、シンガポール、カナダの研究者に加え、日本の産業界や国際機関(ユネスコ)からの登壇者が招かれていた。オンラインを含めると25カ国から570人を超える人々が視聴したという。
本イベントの国際性を象徴するかのように、加納さんは25カ国語の「ありがとう」を読み上げて冒頭の趣旨説明を締めくくった(日本学術会議若手アカデミー提供)
詳細なプログラムと講演内容は日本学術会議のウェブサイトで確認できるため、以下では筆者の視点から、ポイントを絞って内容を報告したい。
「10の課題」は各国に共通する
最初の基調講演で、若手アカデミー副代表の標葉隆馬さん(大阪大学准教授)は「10の課題」の内容を説明した。同報告書では、下図のように「イノベーション創出を阻む構造的問題」を整理している。
8000人の若手研究者へのアンケート調査や文献調査、学術会議内での議論を経て作成された(日本学術会議若手アカデミー提供)
この図で重要なのは、イノベーション創出の阻害要因としてあげられている「研究者人口の減少」や「研究以外の業務の増加」と各項目が、それぞれ「原因」であると同時に「結果」でもあるようなループ構造を成している点だ。この絡み合った問題を同レポートでは「10の課題」にまとめ、それを解きほぐすための手立てを提言している。なかでも標葉さんは、分野を超えた研究や地域連携などへの評価、セクター間の相互作用の促進、大学の教育さえもが外部の競争的資金に依存している現状の是正の必要性などを強調した。
「10の課題」に対して、各国の参加者は口をそろえて「有益な取りまとめだ」「自国の問題構造とよく共通している」と賛意を示していた
続いて登壇したカナダ・マギル大学の化学部教授のオドレ・モアズさんは、同国でも研究時間の不足、キャリアの継続性、ワークライフバランスが主要な課題であるとしたうえで、「この問題は、一国のみで対応すると人材の奪い合いが生じる『共有地の悲劇』に陥るため、各国が協調して対策を講じることが重要だ」と述べた。
モアズさんはカナダ王立協会の若手学者・芸術家・科学者協会(RSCカレッジ)会長も務めている
博士号取得者は増えるも課題が多い中国
各国からの報告の中でもとりわけ印象深かったのは、清華大学(中国)准教授の唐昆さんによる、日本と中国の研究を取り巻く環境の定量的な比較だった。唐さんによれば、中国では日本と異なり博士号取得者の数は増えているものの、人口における割合は日本が100万人あたり約5600人であるのに対し、中国は約1800人と依然として低い。また、博士号取得者の進路は、アカデミアも非アカデミア職もさまざまな要因から厳しい選択肢となっているという。
さらに、中国では研究者に論文執筆の強いインセンティブが設計されているため、論文数は米国を超える規模となったが、それが必ずしもイノベーションにつながっているわけではない。政府もこうした多くの課題を認識し、対策を講じているものの、新しく設けられた評価指標へ過剰適応するような行動も見られるという。
中国の博士号取得者は、競争が厳しく低待遇のアカデミア職と、アカデミアスキルとは必ずしもマッチしない非アカデミア職の間で厳しい選択を強いられている、と唐さんは話す(日本学術会議若手アカデミー提供)
最後に唐さんは、中国を含めた研究環境の改善に向けて、若手研究者の声を届けるために世界中の当事者が協力することの重要性を強調した。
本イベントのウェブページに公開されている唐さんの発表資料は非常に充実したもので、中国の状況に関心のある方は一読の価値がある
経済的価値だけではないイノベーション
この日の議論の前提には、「研究者が研究で力を発揮することが、イノベーションを生む」というロジックがある。しかしそこで目指されるイノベーションとはどのようなものなのか。オーストラリア国立大学准教授のフェビアン・メドヴェッキーさんはこの問いに立ち返る必要性を訴えた。
メドヴェッキーさんは、欧州や豪州で実績のある「責任ある研究・イノベーション(RRI)」の概念と実践を紹介しつつ、その前提となる「イノベーション」の目的に立ち返ることが重要だと主張
イノベーションというと、一般的に経済的価値の創出が想定されやすいが、それだけではない。技術をよりシンプルかつ低コストにすることで広く普及を促す「フルーガル・イノベーション」や、経済的価値よりも社会的価値を重視する「ソーシャル・イノベーション」も存在する。GDPへの貢献などを科学のゴールに据えることが、失敗を許さず、常に生産的でなければ生き残れない研究環境につながっているとメドヴェッキーさんは指摘した。こうした多様なイノベーションの価値に関して、アカデミアの外の人々といかに共通認識を作れるかということが、本イベントの論点の一つとなっていた。
産業界との垣根は高くない
パネルディスカッションでは、産業界からの視点も提供された。米国のベンチャーキャピタルであるアーチベンチャーパートナーズの吉川真由さんは、分子生物学のバックグランドをもち、アカデミアの知見を社会課題に生かすべく、スタートアップ経営や投資の活動を手掛けている。吉川さんは、スタートアップが研究以外の理由で失敗しないためのマネジメントや、資金面での支援の重要性を述べた。その上で、日本のスタートアップの特徴として、研究者も投資家も経営者もすべて日本の人材で完結する「ガラパゴス」の傾向を指摘し、日本というサイロを出る必要性を強調した。
吉川さんは、「ガラパゴス」の傾向は人材のみならず事業戦略や共同研究相手、ターゲット市場などの面でも同様に見られると指摘
メルカリの研究開発組織であるメルカリR4Dの井上眞梨さんは、同組織が取り組む人文・社会科学を含む基礎研究や、PhD支援プログラムについて紹介。多様なキャリアパスを支える柔軟な雇用形態や、大阪大学と連携した人材交流制度など、産業界らしい取り組みが目を引いた。こうした事例は、アカデミアと産業界との垣根が思われているほど高くない場合があることを参加者に強く印象付けるものだった。
井上さんからは、メルカリR4Dの全プロジェクトで研究倫理に関するトレーニングを導入していることなど、同研究所のユニークな取り組みが紹介された
国を超えた研究者同士の交流に大きな意義
登壇者の国や、所属するセクターによって少しずつ力点の違いはあるとはいえ、「10の課題」での現状認識については、その場の参加者の間でおおむね共有されているように見受けられた。そこで筆者からは、答えるのが難しい質問であることは自覚しつつ、パネルディスカッションの最後に次の問いかけをしてみた。
「今この会場にいる方々は、研究者が置かれた状況の構造的問題と、打つべき手について合意しているように思えます。しかし昨今、世界的に地政学的な緊張が高まり、研究者にも経済的なイノベーションへのプレッシャーがますます強まっています。そうしたなか、今日議論されたような改善の方向性を、アカデミアの外とどのように共有していくことができるでしょうか?」
韓国、インド、シンガポールで活躍する研究者と、さまざまなセクターで活躍する日本の有識者が顔を並べたパネルディスカッション
グローバル・ヤング・アカデミー(GYA)共同議長を務めるチャンドラ・シェカール・シャルマさん(インド工科大学ハイデラバード校教授)は、科学コミュニケーションの必要性に加えて、とりわけ「科学技術外交」が重要だと答えてくれた。「科学技術外交」とは、科学・学術にまつわる多様な国際交流を含む概念であり、外交官などの政府関係者同士の外交だけでなく、科学者同士の交流によって実現する科学技術外交も重要だとされる。GYAは各国の若手アカデミーと連携しつつ、若手科学者の声を束ねることを目的に活動する組織であり、まさに研究者主導の科学技術外交の主要な組織の一つだ。
シャルマさん(中)はGYAにおける重要トピックの1つとしてオープンアクセス・オープンデータの問題にも言及。経済格差が情報アクセスの格差へとつながることに懸念を示した
実は「10の課題」も、「科学技術外交に関わるキャリアパスの整備」を提言の一つに掲げている。研究者が国際的な会議に参加し、科学技術にまつわるルール作りの議論に貢献する。あるいは国を超えた研究者同士の交流のチャンネルを作る。そうした活動自体に「外交」としての大きな意義があるのだ。
筆者は、このイベントそのものが、科学技術外交の実践になっていると感じた。本イベントを主宰した学術会議のメンバーも、各国からの登壇者も、みなそれぞれ専門をもつ研究者であり、日々大学などで教鞭をとる教育者でもある。そうした研究者たちがサイドワークとして準備し、実現したのが本イベントだ。国際交流の活動を行い、アカデミア、ひいては社会に貢献しようという研究者たちの活動を、イベントに参加した570人以外の人々へ伝えていきたいと感じた。
基調講演に続きパネルディスカッションでもモデレーターを担った標葉さん
初の託児所設置でワークライフバランスにも配慮
当日の主要テーマの一つに、「研究者のワークライフバランス」があった。ハードワークを美徳とする文化も残るアカデミアは、ジェンダーや家庭状況によって研究者のキャリアの継続性が阻まれることも多い。
今回、日本学術会議主催の国際シンポジウムとしては初めて託児所が設置されていた。登壇者を含め、何人かの参加者は子ども同伴で来場しており、「小さな一歩ではあるが画期的なことだ」というコメントも聞かれた。こうした配慮があってこそ議論に加われた参加者もいただろう。
託児所は多くの利用があり、子どもたちの楽しそうな声で満ちていた。このほか、子どもと遊びながらモニター越しに議論の様子を視聴できるキッズスペースも設けられていた(右)
誰もが参加できる議論の場を
この日、各国から集まった登壇者の間には互いへの信頼があることを感じた。それはアカデミアの改善というビジョンを共有しているからでもあるだろうし、若手アカデミーのメンバーが国際的な研究者ネットワークを築いてきた努力のたまものでもあるのだろう。こうした活動に感謝しつつ、研究者が生き生きとイノベーションを生み出し続ける世界に向けた、誰もが参加でき国際的にも開かれた議論が今後も継続することを期待したい。