AEDの一般解禁から20年、延べ約8000人を救命 その現在地は~三田村秀雄さんに聞く

Science Portal 2 週 前
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 人が心室細動で倒れたときに使う「AED(自動体外式除細動器)」。一般人の利用が解禁されて2024年で20年が経過した。延べ約8000人の命が助かったとみられる。AEDの存在は分かっていても、使い方を知らなかったり、怖くて使えなかったりすることもある。そこで、AED導入の経緯や適切に使うための方法、使わなかったときのリスクについて、慶応大学医学部元教授で、日本AED財団の理事長でもある三田村秀雄さんに聞いた。

防げないと考えられていた心室細動による突然死

―医師として循環器内科、とりわけ不整脈を専門に治療されてきました。

 心臓という臓器はダイナミックにずっと動き続けているところが何とも不思議で、魅了されました。心臓の病気は大雑把にいうと、「電気不全(不整脈)」「心不全」「冠不全(虚血性心臓病)」の3つしかありません。僕は記憶力があまりいいほうではなくて……(笑)。たくさんの病名を覚えなくていいというのもありましたね。

 若い頃はまだCTやMRIがなかったので、心電図と聴診器が必須でした。自分の腕で病気を見つけられ、その種類が分かるという面白さがあって、専門にしました。頻脈性不整脈は薬や電気ショックで、劇的な改善が見込めるところも魅力です。

AEDを使用した人々や助かった人を全国に訪ね歩くのが好きだという三田村秀雄さん(2025年1月、東京都千代田区)AEDを使用した人々や助かった人を全国に訪ね歩くのが好きだという三田村秀雄さん(2025年1月、東京都千代田区)

―若い頃の臨床の現場でAEDと縁があったのですか。

 いえ、AEDとすぐにつながったわけではありません。AEDのターゲットは「心室細動」と呼ばれる不整脈の一種で、医師にとって最も手強い。死に直結し、電気ショックでしか治せません。この心室細動、そして突然死は防ぐことができないというのが従来の考え方でした。

 当時、日本では病棟で心停止が発生しても、気管挿管や点滴が優先され、「除細動器を持って行く」という考えが浸透していませんでした。1981年から84年まで米国にいて、動物実験で「薬で心室細動を防げないか」という研究をしていました。その際、心停止したら電気ショックも行っていました。

 帰国後、勤務していた慶応義塾大学病院に99年、在米で日本人の患者さんが米国の新聞の切り抜きを持ってきたのです。そこには、AEDが米国で使われ出したという内容が書かれていました。動物実験と同じことを院外で日常的に行っていることに驚きました。

カジノで心停止、救ったのはガードマン

―米国は食生活の生活習慣によって心停止する人が多いイメージがあります。

 生活習慣病を持った人も多く集まる場所がカジノです。ラスベガスでは、興奮して心停止を起こす人が多いのです。しかし、カジノには監視カメラがたくさん設置されていて、倒れた瞬間がわかります。カジノのガードマンが駆けつけ、AEDを使わせたところ、非常に良い成績で助かるという論文が出ました。

砂漠地帯のラスベガスは至る所にカジノ(右下)があり、それに併せて防犯カメラ(左下。なお、これは屋外のものでカジノ場内のものではない)も設置されている(2015年、米ネバダ州ラスベガス)砂漠地帯のラスベガスは至る所にカジノ(右下)があり、それに併せて防犯カメラ(左下。なお、これは屋外のものでカジノ場内のものではない)も設置されている(2015年、米ネバダ州ラスベガス)

 もちろん、通報を受けた救命救急士も駆けつけているのですが、それでは助からない。なぜなら、3分以内の電気ショックでは7割が助かりますが、心室細動は時間と共に心電図の波形がフラット(死亡)に近づく。発症して10分で亡くなるとされます。

 この研究結果を知ったクリントン大統領が2000年に「航空機などにAEDを」と演説しました。そこから米国内でAEDが広く設置され、普及しました。

医師でなくても「医行為」が可能に

―日本でのAED普及も飛行機からだったのですか。

 はい。専門医として絶対に日本でも普及させなければいけない、という思いで、2000年に市民向けのシンポジウムを開き、AEDを多くの人に知ってもらうところから始めました。01年には日本循環器学会で法律的な課題や安全面の課題などをまとめる検討委員会を立ち上げました。

 その頃、米国に乗り入れる日本の航空機へのAED搭載をどうするのか、という問題が持ち上がりました。その年の9月11日に米国で同時多発テロ事件があり、航空会社の経営陣に対し、社内の医師が、「世界的な潮流」であることや、「AEDがないために死亡したときの訴訟リスク」、「他国の航空会社に乗客が流れてしまう」と説得しました。大きな異論もなく、経営陣も国土交通省も許可を出しました。

 他方で、問題なのは誰が使うのかという議論で、「電気ショックは医学教育を受けた人や、救命救急士だけができる」という認識が拭えませんでした。救命救急士制度は91年、医師の指示の下に医療行為ができるとして設立されました。「客室乗務員に独断でさせていいのか」という声がありました。

 何よりも難しかったのは、「医師でなければ、医業をなしてはならない」という医師法17条の存在でした。AEDの電気ショックは確かに「医行為」ですから、客室乗務員が行うには問題があります。ただ医業というのは反復継続性をもって医行為をすることですから、医行為であっても業でなければ違反にならないと解釈できます。

 日本航空が「客室乗務員が心停止に遭遇する確率は123年に1度」という計算結果を導き出し、2001年12月に厚生労働省が「やむを得ないときは乗務員の使用を認める」ようになりました。

1日200人死亡、救急車では間に合わない

―航空機のあと、地上にどのように展開されていったのでしょうか。

 空が良ければ陸もいいかというと、「救急車がある」と言われるわけです。「救急車では間に合わないのですよ。そのような患者が毎日200人出ているのですよ」と必死に訴えました。東大法学部の樋口範雄先生に医師法や民法の解釈についての教えも請いました。

消防庁がこのほど公表した救急車の現場到着までの時間と、病院に搬送するまでの時間のグラフ。令和5年はやや短縮しているが、右肩上がりに時間を要していることが分かる(消防庁「令和6年版 救急・救助の現況」より抜粋)消防庁がこのほど公表した救急車の現場到着までの時間と、病院に搬送するまでの時間のグラフ。令和5年はやや短縮しているが、右肩上がりに時間を要していることが分かる(消防庁「令和6年版 救急・救助の現況」より抜粋)

 02年11月20日、循環器学会から一般市民がAEDを使えるようにすべきとする報告書を出しましたが、その翌日、高円宮憲仁親王がスカッシュの練習中に倒れ、亡くなられました。AEDがそばにあれば、と思い、翌月には厚生労働大臣に学会から要望書を提出しました。

―その突然死のニュースは私も覚えています。

 この頃、首相官邸や各省庁に足繁く通い、心臓突然死はAEDで救えると訴え続けました。すると、特区を利用したら、というアイデアを教えてもらい、2回目の申請で、構造改革特区を管轄する内閣官房からのゴーサインが出て、厚労省も動きました。

 04年7月1日、一般の方がAEDを使えるようになりました。しかし、当初は1台90万円。一般解禁されたところで「誰が他人のために、使うかどうかもわからないものを買うのか」と、ジレンマがありました。自治体が購入したりして徐々に広まっていきました。

一般人の処置でも半数は助けられる

―相当な数の命が助かるようになったのでしょうか。

 消防庁は、AED解禁後18年間で7656人の命が救われたと見積もっています。2018年まで年を追うごとに救命数が増えたのは、AEDの普及に伴うものでしょう。2019年にピークの703人に達しました。しかし、2020年のコロナ禍で少なくなり、翌21年も減りました。22年には600人台に持ち直しています。解禁後20年で延べ約8000人の命が救えたと私たちはみています。

AEDが解禁されたあとの2005年から2022年まで、AEDで助かった人の推移。コロナ禍で若干減ったものの、年間約600人以上の命が救えていることが分かる(日本AED財団提供)AEDが解禁されたあとの2005年から2022年まで、AEDで助かった人の推移。コロナ禍で若干減ったものの、年間約600人以上の命が救えていることが分かる(日本AED財団提供)

 それでも、倒れた全員を救えたわけではありません。使えなかったケースを調べると、心室細動でなかった、あるいは時間が経ちすぎて適応外だったことの他に、「遠かった」や「場所が分からなかった」というものがあります。

 一般人が行った処置別の救命率をみても、AEDショックを行えば50.3%は助かるというデータがあります。119番通報だけや心臓マッサージ(胸骨圧迫)を行ったケースに比べると大きな差があることは明らかです。

左から119番通報をしただけのケース、心臓マッサージを行ったケース、AEDショックを行った場合の救命率。AEDが大幅に救命できることを示している(日本AED財団提供)左から119番通報をしただけのケース、心臓マッサージを行ったケース、AEDショックを行った場合の救命率。AEDが大幅に救命できることを示している(日本AED財団提供)

 20年間で分かったことは、「倒れた人がいる施設にAEDがあれば救命率が高い」という事実です。

救命率が上がる3つの条件。多くの人の目があり、AED操作ができる人がいると助かる可能性が高くなる救命率が上がる3つの条件。多くの人の目があり、AED操作ができる人がいると助かる可能性が高くなる

操作は電子レンジと同じで簡単

―しかし、訓練を受けないと助けられないのではないでしょうか。人は驚くと動けなくなります。

 一般解禁の時にも「講習を受けていることという条件付きにすべき」という意見がありましたが、それでは普及しません。簡単な操作で済むイメージが伝わっていない。そのため、「電子レンジと同じで、セットしてボタンを押すだけ。それも音声で教えてくれる」と言うようにしています。とはいえ訓練を受けていた方が、とっさのときに動ける人が多いです。また心臓マッサージをその前後に行うことは必須です。

 心室細動の人は5秒で倒れます。てんかんと混同してしまうかもしれませんが、119番通報してください。スマートフォンをスピーカーに切り替え、心臓マッサージを開始します。担架があっても運ばず、心臓マッサージが優先です。

 その際、分からなければ救急司令室の指示を仰いでください。消防局の人は救助のプロですから、昨今問題とされている「女性の下着が見える中での救助」についても指示のもとで安心して行えるはずです。救命のための行為は犯罪にはなりません。

スマートフォンをスピーカーに切り替え、心臓マッサージを続けることが大切だスマートフォンをスピーカーに切り替え、心臓マッサージを続けることが大切だ

 口で肺に空気を吹き込むのは、コロナ禍後は推奨していませんが、そもそも難しいのでやらなくて構わない。それよりも心臓マッサージを絶え間なく行うことが大切です。

 救急車が到着するまでに、10分近くかかるので、救命できるかどうかは救助する方の手にかかっています。訓練時はストップウォッチで時間を計りながら、施設内であれば倒れて3分以内にAEDを装着できるようにしましょう。

AEDを必要なときに確実に届けるための2つの方法。設置場所にいる人はもちろん、偶発的に遭遇したときに助けるためにも講習などを受けることが望ましい(日本AED財団提供)AEDを必要なときに確実に届けるための2つの方法。設置場所にいる人はもちろん、偶発的に遭遇したときに助けるためにも講習などを受けることが望ましい(日本AED財団提供)

インフラ整備でもっと助かる世の中へ

―手元にAEDがあり、119番通報できる環境であれば救えるのですね。

 学習指導要領に沿って中学・高校生はAEDの取り扱いを学びますが、これからは小学生や、大人も学ぶ必要があります。心停止の3分の2は居宅の主に高齢者で起こっていますから、救命率を上げるにはどうしたらよいか、というのが一つの大きなテーマです。

 最新デバイスなどで倒れたことをすぐに発見できるインフラが整うと、もっと助かると思います。フードデリバリーやタクシーにAEDを持ってきてもらうというアイデアや、AEDにタグを付け、GPS情報から通報者のスマートフォンに最寄りの場所が表示されるといったデジタル技術が活用され普及すると良いかもしれません。

 20年間でAEDを取り巻く環境は劇的に変わりました。この先20年でさらにAEDはインフラとしての整備が進むでしょう。他方で、野次馬が動画撮影したり、個人情報をむやみにインターネットにアップしたりすることを危惧しています。これは違法な行為です。

 AEDで助かった人の中には、助かった側が助ける側に回れた話や、三重県の答志島(とうしじま)という離島でAEDを使い、漁船で病院に運んで救命につなげた話など、モデルとなる話がたくさんあります。そういった体験を積み重ね、共有していけると良いですね。

最新のAEDはアニメーションで救命方法を教えてくれるものもある。ガイダンスと画像に従えば良いので分かりやすい(東京都文京区)最新のAEDはアニメーションで救命方法を教えてくれるものもある。ガイダンスと画像に従えば良いので分かりやすい(東京都文京区)

 AEDは「ショックボタンを押すことが心理的負担と感じる人もいる」ことから、機械が自動で電気ショックを実行する「オートショックAED」の普及が進んでいる。AED一般解禁20周年を迎えた昨夏に販売先の制限が解除されたことで、普及が進んだ。

 AEDを販売するメーカーの一社であるフクダ電子(東京都文京区)は、初めて操作する人にもわかりやすいよう、音声ガイダンスに加え、アニメーションで操作方法を指示し、救助者をサポートする7インチの液晶画面付きモデルを販売している。さらに、ボタン一つで英語にも切り替えることができ、インバウンドなどによって増加している外国人も分かりやすいような工夫を凝らしている。

三田村秀雄(みたむら・ひでお)

日本AED財団理事長

1950年東京都生まれ。74年慶應義塾大学医学部卒業。81年米ジェファーソン医科大学研究員、99年慶應義塾大学医学部心臓病先進治療学教授。2004年東京都済生会中央病院副院長、13年国家公務員共済組合連合会立川病院長。16年から現職。専門は循環器内科学。

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