救急車の適正な利用について考える「サイエンスアゴラ in 福岡」が9月20日、福岡市南区の九州大学で開かれた。イベントの副題は「〜市民と大学の総合知でつくる 救急利用・救急行政への提言〜 みんなで九州大学と提言をつくろう!」。まず、福岡市消防局が持つ救急搬送データの内容を学生らが発表した上で、どこをどう工夫すれば増加する搬送数に対応できるかをワークショップ形式で話し合った。
発表から見えてきたのは、よく言われる「タクシー代わり」の搬送だけではなく、「救急隊員が駆けつけても、様々な要因により出動先から病院に出発できない」ことによる搬送時間の長期化であることも浮き彫りになった。
福岡市の救急車は寄付によるものが多いという特徴がある。現在、常時稼働している市内の34台中25台が寄付されたものだという(福岡市消防局提供)
実態把握のため、50万件のビッグデータを解析
福岡市は人口約167万人(2025年10月現在)で、7つの区に分かれている。市の統計によると、昨年の救急出動件数は10万181件で、1日あたり平均273.7件の出動がある。この数値は毎年増加傾向にあり、持続可能な形で救急車を利用するための方策を考えることは、喫緊の課題だった。
福岡市の救急出動件数は年々増加しており、1日あたりの出動数も増加傾向にある(福岡市のデータを元に編集部作成)
課題を解決するためにはまず、実態を正しく把握することが大切だ。そこで今回、同大学大学院の学生らが、福岡市消防局の過去の出動記録約50万件ものビッグデータを個人が特定できない形で譲り受け、「搬送にかかった時間」や「受診科別の搬送コスト」「軽症者が救急車を呼んだかどうか」などを詳しく解析した。なお、ここでの「軽症」は診断結果に基づく分類であり、「不適正利用」を直ちに意味するわけではない。
選定療養費徴収で「軽症」搬送数9%減の見通し
まず、よく救急車適正利用の際、声高に指摘される「軽症なのに救急車を呼んだ」ケースについて見ていく。福岡市の場合、50万件中、約23%の11万3375件は「軽症」と判断できることが分かった。
これを、茨城県が取り組む「緊急性が認められない救急車の利用は、一部病院で選定療養費を徴収する」「選定療養費が導入されたことで救急車を呼ぶ軽症者が減り、中等症以上の患者が増えた」という2つの事例に当てはめ、もし同様に選定療養費が導入されたら、市内でどれだけ軽症者を減らすことができるか試算した。なお、選定療養費とは診療報酬で認められた特別な料金で、紹介状がないのに大きな病院を受診した際などに徴収することができ、病院独自で額を決められる。
茨城県では2024年12月~25年2月末の救急搬送のうち、4.2%が選定療養費の対象となり、救急搬送の総数も減っていた。同様の方法で福岡市内の救急病院で選定療養費(0円~1万1000円)を加算した場合、搬送数は11万3375件の約9%減となる約10万3000件に圧縮できる見通しという。
学生らは様々な手法を使い、ビッグデータを科学的に分析した(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)
精神科系や歓楽街では「搬送コスト」高く
次に、学生らは搬送時間の地域偏在を減らすことで、効率的に救急車を動かすことを考えてみた。福岡市の救急搬送にかかる時間は平均25.7分。この値を大きく上回っている搬送を「高コスト搬送」と定義し、7つの区における地域差や診療科の差を調べた。
すると、呼吸器科・精神科系の診療科が高コストになっていた。呼吸器科は新型コロナウイルスによる影響が無視できないので影響は期間限定的だと仮定すると、課題となってくるのは、本人の救急要請に加え、家族も対応に苦慮して通報したケースもある精神科系の搬送だ。
そして地域別で見ると、九州大学病院のお膝元である東区では搬送コストが抑えられていた。これは、国道3号線が縦断し、各病院までの動線が比較的確保されているためと考えられる。他方で、歓楽街の中洲や博多駅があることで有名な博多区は高コストだった。福岡空港がある博多区は、搬送が遠回りになるため、時間がかかっているのではないかと学生らは予想する。
人口構成でみると、博多区は東区に比べ成人の割合が高く、高齢者の割合は低いという違いがあった。もし東区並みに博多区で搬送できれば、搬送数をあと55件増やせる。このような地域の特性に応じた対応も、ビッグデータを分析しないと分からない事実だ。
呼吸器系の「長時間化事例」が目立つ
最後に、搬送がどこで長時間化するかを可視化した。搬送時間が短いものも、長いものも、通報から現場到着までの時間はさほど差がなかった。ということはつまり、救急車が患者宅に到着後、隊員が病院まで搬送するための時間に長短があると言うことを意味している。
今回、学生らは上位1.7%を占める58.8分を超す搬送を「長時間化事例」と定義。その疾病名や発生時間帯を調べたところ、呼吸器系の長さが目立ち、消化器系は短い時間で搬送できていた。長時間化事例が生じたキーワードは、「精神・神経科」「中毒」といった症状で、時間帯は「深夜」が多かった。逆に短時間で済んだものは「乳幼児」や「心疾患」、「脳・循環器系」だった。曜日ごとの差は見られなかった。
救急現場では「受け入れられるベッドがない」
では、これらの解析結果は、実際の救急医療の現場の「肌感覚」とどのくらい近いのだろうか。同大学病院救命救急センター長の赤星朋比古教授(救急医学)が登壇し、福岡の救急医療の現在地を語った。
心肺停止の場合、脳は5分以内に処置をしないと元に戻らないので、市民による救命処置と救急搬送時間の短縮が大切だと訴える赤星朋比古教授(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)
まず前提として、現在、政府は地域医療体制の見直しを進めており、全国的に病床数(ベッド数)を減らしている。大きな病院は近年、赤字経営解消のため、病床稼働率を上げる努力をしているが、救急車を受け入れられるベッド数は絶対的に不足している現状がある。これにより、救急搬送がすぐに受けられない現状もある。
救急搬送の受け入れ拒否のニュースが流れると「病院が断った」「医者が足りないからだ」という過激な病院への批判意見が相次ぐ。しかし実際は、「受け入れられるベッドがない」という医療政策におけるハード面の問題である。
この事実を踏まえ、赤星教授は、コロナ禍ではベッドをコロナ患者で埋めることになり、「普段九大で助けられる人が助からなかった」と振り返った。コロナ禍が落ち着いてきた今年は、熱中症による搬送者数の増加が予想されたが、「ファン付きベストなど、労働者への対策が進んだからか、意外と搬送は増えなかった」とした。
本人の搬送拒否と外国人の受け入れ拒否と
そして、救急困難事例の実情は医師不足ではなく病床不足であることを前提に、スライドで、救急搬送数が年々増えていることを総務省のデータから示した。また、福岡市の50万件のデータから、「救急車の不搬送」が増加傾向にもなっていることも示した上で、「人口減少にもかかわらず、搬送数は減っていません。乳幼児の搬送数も減っていません。病院にはECMO(体外式膜型人工肺)で命をつなぐお子さんもいて、長期入院が続きます。ではなぜ出動件数や救急困難事例が減らないのでしょうか」と会場に疑問を投げかけた。
赤星教授はその答えを「本人が『やっぱりいいです』と搬送を拒否するケースがあるから。救急車に医学部の5年生を乗せて実習を行うと、驚かれる。市民の皆さんの英知を結集して減らすのは、ここら辺かな、と思っている」と語った。
救急外来では別の問題も起きているとして、外国人観光客の受診について触れた。「市にも伝えたが、観光に来たアジア圏の人が、医療費を払わずに帰国するということが起きている。保険に入らずに来ているので、外国人に関しては受け入れ拒否もある」と打ち明けた。
他方で、福岡市は市民による心肺蘇生実施率が高く、通報段階で通報者に消防局が指示を出すと、「ほぼ100%」AEDや胸骨圧迫を行う助け合いの文化があり、生存率向上に一役買っているという明るい話題も提供された。
市民のアイデア「大人の保健室を」、世代間交流も成果
教員や学生を囲みながら、聴衆も参加してグループディスカッションを行った(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)
最後に聴衆と学生や教員らを囲んでグループディスカッションが行われた。救急車やベッド数を増やすのではなく、「大人の保健室」を作るというアイデアが披露された。これは、精神的に苦しい本人が行ける、もしくは躁うつや統合失調症への対処で困り果てた家族からの通報の受け皿となる場を作り、高コスト搬送・長時間化事例となりやすい精神科の通報を救急車ではない方法で受け入れる案だ。他にも、119番通報を不安の解消のために使っているなら、通報にビデオ通話を導入してはどうかという提案もあった。
元消防局員の男性は「何十年も救急車の有料化を議論してきたが、結論が出ない。現役の時にこのイベントがあれば良かった」と発言した。別の消防局に勤めている救急救命士の男性は「救急車はセーフティネットなので、個人的には(本人の)搬送拒否事案がダメとは思わない。精神疾患(の強い症状の現れ)の人の方が大変」と明かした。
イベントを取りまとめた同大芸術工学研究院の尾方義人教授(デザイン学)は、「難しい問題に対し、様々なアプローチをするのは、高校に導入された“探究”の授業とすごく似ている。市民・行政・医療が協働し、福岡の課題を解決できれば全国モデルになる」とまとめた。
救急搬送の問題解決には、様々な分野からの知恵の結集である「総合知」が必要と語る尾方義人教授(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)
参加者の60代の主婦の女性は「グループには高校生や、大学の先生といった普段話ができないような人と話せて良かった」といい、防災や消防に関するユーチューバーとしても活躍する30代男性は「防災のイベントは高齢者の参加が多いが、若い世代と話ができて斬新だった」と笑顔を見せた。