丙午(ひのえうま)は、日本で最もよく知られている暦の迷信である。一般には、その年生まれの女性の気性や運勢についてよくない言い伝えがあるため、(女児)出生が避けられ、60年に1度出生数が減る現象として知られている。2026(令和8)年はその丙午年にあたる。年間出生数が約69万人という超少子化状況にあって、今回の「令和のひのえうま」では、一段の出生減があるのかどうかに注目が集まっている。科研費を得て進行中の、「ひのえうま人口減の社会科学的解明」も踏まえて、丙午の迷信をデータから科学的に読み解く研究の一端を紹介したい。
吉川徹氏
江戸の「フェイクニュース」拡散
2026年、令和のひのえうまは、直前になるまで話題にされることはほとんどなく、出産を考える肝心の若い世代では、丙午を知らない人も少なくなかった。それでも昨年末から年明けにかけて、にわかにマスメディアでの報道が急増し、ソーシャルメディアでの言及も多くなった。
そもそも十干十二支による暦法は古代中国に由来する。日本社会で流布している丙午をめぐる迷信俗言の事実上の始まりは、江戸初期であることがわかっている。よく知られているのは、八百屋お七という若い娘が好きな男を想うあまり引き起こした江戸の放火事件である。この恋愛悲劇は草紙や歌舞伎、浄瑠璃などの庶民文化を介して広く拡散した。
八百屋お七を題材にした人形浄瑠璃「伊達娘恋緋鹿子」の火の見櫓の段(淡路人形座提供)
お七の生まれ年は、「寛文のひのえうま」であったとされる。これすら真偽不明なのだが、丙午女は「気性が荒い」となり、やがて「夫を食い殺す」などともいわれ、婚姻が避けられるようになった。
丙午の女性たちが実際に厄難に苛まれるようになると、この年に女児を産むことを避けるべきだとされて、子流し(中絶・堕胎)、間引き・子捨て(嬰児密殺)、祭り替え(届出操作)などにより、この年の出生を抑制する風習が広まった。「ひのえうま迷信」は、今でいうところの「フェイクニュース」の拡散により、意図せざる結果として成立したものなのだ。
科学による迷信の「ブレイクスルー」
こうした「ひのえうま現象」は、社会学の研究対象として示唆に富んでいる。迷信とは道理に合わない言い伝えなどを信じることなのだが、さらに突き詰めると、その要件は以下となる。
第1は悪弊や不利益、すなわち厄難を伴う、ちまたに言い伝えられてきたことわざである俚諺(りげん)であるということ。吉兆をもたらす、あるいは実益につながる縁起のよい迷信はそもそも少なく、その実効性も確実だとはみられていない。しかし厄難のほうは、過剰に怖れられ、避けられる。
第2の要件は、科学的、論理的な根拠が明らかではないということ。言い換えれば、成立プロセスが無根拠、非合理、理解不能だということで、これにより言説はかえってミステリー性を帯び、人びとの恐怖と忌避は一段と高まる。
第3の要件は社会的に共有されていること。つまりその言説をだれもが知り、信じられている、正確には広く信じられていると認識されている、ということである。特定の個人が信じているだけならば、ゲン担ぎや秘密のマジナイの類になる。社会的な共有知であることによって、ある言説が正否にかかわらず、人々の個々のミクロな行為がマクロな社会構造に影響する「ミクロ・マクロリンク」の過程を経て実体化する、いわゆる予言の自己成就という因果性を誘発する。
そして第4に伝統や因習による権威付けによって、その信ぴょう性が保たれていること。全く新しく生起した言説の場合、昨今話題のデマや陰謀論の類になるだろう。伝統性に裏打ちされることにより、迷信言説は根強く継承されていくことになる。
四つの要件を満たす迷信の本質とは、古くからの、悪い、謎の、広まりだということになる。だからこそ、迷信と近代科学の相性は悪い。これまで、丙午研究は、歴史人口学と民俗学の研究がわずかにあるのみだった。逆にいえば、謎とされる部分の科学的な解明は、迷信のブレイクスルーの糸口となりうる。過去の丙午における「ミステリー」が、エビデンスに基づいて暴かれてしまえば、この現象はもはや迷信の要件を満たさなくなる。
人口減の隠れた機能とメカニズム
過去および現在進行中のひのえうま現象について、人口動態統計、社会心理学、メディア報道、生殖科学、公衆衛生の制度史、近代家族・核家族論などの分野横断的なアプローチによって探究する研究として、2025(令和7)年度から3カ年の計画で、日本学術振興会の科研費挑戦的研究(萌芽)25K21919の支援で「ひのえうま人口減の社会科学的解明」を行っている。これにより、人びとに妄信され、畏怖されてきたひのえうま迷信は、理解可能な社会現象になっていく。
資料が残っている弘化、明治、昭和のひのえうま周辺年の性生年別人口の統計をみると、180年前、120年前、60年前いずれも、この年に限って出生数や同年人口の落ち込みを確認できる。さらによく見ると、出生減の規模、前後年の人口変化のパターン、男女比が毎回少しずつ異なっていることにも気が付く。そして直近の1966(昭和41)年は、切り欠きが最も顕著であり、約50万人近い変動がみられる(前後年比約70%減)。これほどの規模の一時出生減は世界的にも例がない。
弘化、明治、昭和のひのえうま周辺年の性生年別の人口統計(各グラフの左が男性、右は女性)
ひのえうま迷信は、数十年を隔てた二つの社会現象で成り立っている。一つは出産回避および女児出生の忌避であり、もう一つは丙午年からおよそ20年後、当該女性たちが婚姻の適齢期に会う厄難である。つまり、出生と婚姻についての二つの現象が、繰り返されてきたのが丙午の歴史的経緯なのだ。
この二つのひのえうま現象はともに、ある社会的機能を担っていたことを指摘できる。それは、家父長制の規範を逸脱するスケープゴートを無理やり作って折々に苛み、このイデオロギーの存在を強固にするというはたらきである。家父長制とは、男性主導の社会において、男性支配の家族・氏族システムに、女性が婚姻と子孫形成によって従属するという社会システムである。
江戸期以降の日本では、慎ましく男性を立てる気性をもち、嫁ぎ先に望んで迎えられ、離縁されたり再婚を繰り返したりすることなく、世間に恥じない子を産み、夫唱婦随で平穏に結婚生活を送ることが、女性にとって望ましいこととされた。にもかかわらず、丙午の女性は、そうした人生を歩むことができないと、いわれなく決めつけられたというわけだ。
人びとに明示的に意図されることはなかったが、60年に一度、女性だけという120分の1の確率でスケープゴートを作って、そこに社会からの圧力を加えることは、家父長制規範の望ましさを再確認し、明確化する作用をもっており、だからこそ江戸から昭和の日本に広く流布したのだと解釈することができる。そうであるならば、ひのえうま現象を指標とすれば、ジェンダーやイエ意識や生命倫理についての社会意識変容の趨勢を知ることができる。丙午をある種の自然実験だとみるこの考え方は、計量経済学者の石瀬寛和氏も実践し、研究成果を論文発表しているもので、丙午に生まれた集団は「Japanese Firehorse cohort」として海外の経済学や人口学の研究でも一定の関心が示されている。
昭和のひのえうまの出生秘話
現代のわたしたちが広く知るひのえうま迷信現象は、この昭和の大出生減なのだが、科学性と合理性に基づく豊かさを求めて邁進した高度経済成長期の只中において、旧来の迷信がなぜこれほど大きな力を発揮したのだろうか。このときの実態について、実際の年次出生数を示す折れ線グラフを見ると、緩やかな出生増の趨勢のなかで、山―谷―山の変動があったことを捉えている。
これは、丙午年に限って妊娠が回避されたわけではなく、前後3年ないし5年の期間で出産前倒し(約10万6000件)、出産先送り(約14万3000件)がなされていたということを示唆している。つまりこのときには、単なる出産断念ではなく、長期にわたる計画的な受胎調節(避妊によるバースコントロール)がなされていたのだ。
約50万人の大出生減というのは、山―谷―山の3年の推移の差分をそのままみたものだが、1966年の出生数の純減は、じつは約16万4000件にすぎない。ちなみに、1966年だけ妊娠中絶数が増加したという事実もない。約280日の妊娠期間を考えれば、当事者たちにとっての「昭和のひのえうま」の始まりは1963(昭和38)年の下半期であり、丙午の余波の終わりは1968(昭和43)年だったという驚くべき事実が明らかになる。
緩やかな出生増だった傾向を踏まえて想定出生数を算出し、実際の出生数との差を求めた
昨年にだした光文社新書「ひのえうま 江戸から令和の迷信と日本社会」に詳しいが、「ひのえうま騒動」を想定以上に拡大させたのは、このとき発達していた大衆メディアの報道であった。けれども、これに加えて生殖科学の知識、とくに第二子以降の受胎調節の公衆衛生としての伝播が、期間を正確に区切った出生減をこれほど大規模にした知られざる要因であったのだ。
どうなる令和のひのえうま
このように、過去の丙午についてわざわざ調べ直して話題にすると、忘れかけていた迷信を蒸し返すな、という非難もあるかもしれない。しかし、正確なエビデンスに基づく総括的事実の周知こそが、この迷信を本当に終わらせる早道であるだろう。他方では、歴代の丙午の構造の解明によって、令和のひのえうままで何が起きるかということの予測も可能になり、日本社会が直面している少子化問題に知見を活かすこともできる。
目下の結論は、昭和のひのえうまの大出生減は、いくつかの要因が重なった、史上まれにみる暴発的現象であったのであり、令和のひのえうまでは同様の現象は生じえないということである。そして、残念ながら昭和のひのえうまのメカニズムを逆の方向に作動させることで、少子化を食い止めることも容易にはなしえないといえる。
吉川徹(きっかわ・とおる)
大阪大学大学院人間科学研究科教授
1966年島根県生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。大阪大学人間科学部助手などを経て、現在、大阪大学大学院人間科学研究科教授。専門は計量社会学。格差社会を読み解く調査科学SSPプロジェクト研究代表。著書に『学歴社会のローカル・トラック 地方からの大学進学』(大阪大学出版会)、『学歴と格差・不平等 成熟する日本型学歴社会』(東京大学出版会)、『学歴分断社会』(筑摩書房)、『現代日本の「社会の心」 計量社会意識論』(有斐閣)、『日本の分断 切り離される非大卒若者たち』(光文社)などがある。自らも同年生まれという経緯から昨年上梓した『ひのえうま 江戸から令和の迷信と日本社会』(光文社)が話題となっている。