東北大学災害科学国際研究所(IRIDeS)は4日、カムチャツカ半島沖で7月30日に起きた巨大地震や津波についての調査報告会をオンラインで開催し、日本列島に到達した津波は3つの経路で押し寄せて長期化につながったことなど、新たな分析結果を発表した。日本から離れた「遠地地震」のため、詳しく分らなかった今回の地震や津波の特徴、警報に伴う避難をめぐる課題など、地震・津波防災に関わる貴重なデータや知見が紹介された。
7月30日午前8時25分ごろにカムチャツカ半島沖の巨大地震が発生し、同日午後には岩手県久慈港で1.3メートル、また北海道根室市と青森県八戸市、東京都の八丈島で80センチなど、北海道から沖縄まで22都道府県でさまざまな波高の津波が観測された。津波警報が全て解除されたのは同日午後8時45分で、注意報は翌31日午後4時30分まで続いた。この間、宮城県の仙台港では津波警報が発表されて約14時間後に約90センチの津波が観測された。
報告会で津波工学・防災工学などが専門の越村俊一・IRIDeS教授はまず、北海道太平洋沖に到達した波は始めは周期が長く、次第に短くなる特徴があったと説明した。そして津波が長期化した原因について、カムチャツカ半島から北海道南岸沖の間に大陸棚があり、また半島から南東、ハワイ諸島方向に「天皇海山列」と呼ばれる円錐形の海底地形があることを指摘した。
その上で日本に到達した津波は(1)地震により生じた津波の波源からの直接波(2)大陸棚の端に沿って進むエッジ波(3)波源からの波が海山列にぶつかって跳ね返る散乱波―の3種類あり、この異なる3つの経路で複雑に押し寄せために到達時間に大きな差が出たとの見方を示した。直接波がいち早く到達し、次にエッジ波や散乱波がやって来たという。
越村教授によると、海山列からの散乱波は波紋のように同心円状に広がり、エッジ波は屈折、反射を繰り返す。異なる経路で津波が来る例は初めてではなく、例えば散乱波は2006年の千島列島沖地震の時も確認されている。
津波工学などが専門の今村文彦・東北大学教授(副学長)は7月の巨大地震の直後から天皇海山列の存在を指摘し、震源(波源)から反射した波が複雑に重なって長時間押し寄せるリスクに警戒を呼びかけていた。越村教授らの解析は今回の広範囲にわたる津波の特徴を詳しく解明した形で、こうした津波の複数の伝播は、南海トラフ巨大地震など今後太平洋で発生し得る巨大、大地震に伴う津波防災を考える上で留意すべき、と強調している。
カムチャツカ沖巨大地震で到達した3つの津波の経路(東北大学災害科学国際研究所(IRIDeS)提供)
越村俊一教授(IRIDeS提供)
地震学や防災工学などが専門の福島洋・IRIDeS准教授は地震のメカニズムについて報告した。1952年にやはりカムチャツカ半島沖で起きた地震の規模はマグニチュード(M)8.8、9.0と諸説あるが今回とほぼ同じ規模の巨大地震が起きている。
福島准教授はこの2つの地震は震央が極めて近く、余震発生域も大きく重なり、地震を起こした断層の破壊の仕方も似ていたと指摘。同じプレート境界付近で起きた巨大地震は数百年程度の間隔で起きるとされていたのに、わずか約73年で起きた特異なケースだ」と説明した。プレート境界型の地震の発生確率予想は過去の地震の間隔から推定するのが基本だ。南海トラフ地震などの巨大地震の今後の発生リスクを考えると気になる指摘だ。
このほか、災害情報が専門の佐藤翔輔・IRIDeS准教授は和歌山県白浜町の海水浴場にいた約150人の津波注意報が出た直後の避難行動を当時沿岸に設置されていたカメラの映像で分析した結果などを発表。この中でライフセーバーらが速やかに避難誘導した結果、全員が3分以内に遊泳区域外に避難したことを説明し、関係者の避難誘導の大切さを訴えている。
一方、福島県いわき市の避難実態の分析から、酷暑の中で津波警報や注意報が長期化した場合の避難先の確保や避難所からの途中退所の問題、さらにこの調査では大きな問題は見つからなかったものの車による渋滞発生などの課題が確認できたと指摘。今後の防災・減災対策につなげる重要性を呼びかけていた。
カムチャツカ半島沖で1952年と2025年7月に発生した地震の本震・余震の分布地図(IRIDeS提供)
福島県いわき市内の28カ所の避難者数の時系列ごとの変化のグラフ。7月30日は昼過ぎから避難所からの途中退所が目立つ(IRIDeS提供)