メルカリ ハロ公式サイトより
●この記事のポイント
・2024年春に始動したスキマバイトアプリ「メルカリ ハロ」が、2025年10月に事業撤退を発表。
・メルカリが挑戦した“日雇いマッチング”は、すでにタイミーが支配する市場構造に阻まれた。
・即断の撤退は、損失を最小化する経営判断として評価される一方、「事業探索の難しさ」も浮き彫りになった。
メルカリが2024年春に開始したスキマバイトアプリ「メルカリ ハロ」が、わずか1年半で事業撤退を発表した。副業・短期就労マッチングの急成長市場において、同社が狙ったのは「CtoCで培った信頼と即時性を労働領域に応用する」こと。
しかし、先行するタイミーが築いたネットワーク効果の壁は高く、十分なユーザー基盤を獲得できなかった。撤退の背景には、労働法制の複雑さやブランド親和性の問題もある。スピード撤退は損失最小化の英断ともいえるが、この決断が示すのは「勝てる市場の見極め」と「撤退を恐れぬ組織文化」の重要性だ。
●目次
- メルカリ流の“スキマバイト”
- 経営判断としての「早期撤退」
- タイミーとの本質的な違い
- 「ハロ撤退」から見える教訓
メルカリ流の“スキマバイト”
メルカリが「メルカリ ハロ」のサービス提供を開始したのは2024年3月6日。「メルカリで働くをもっと身近に」というコンセプトのもと、メルカリのフリマアプリとは異なる新領域への挑戦だった。
ターゲットは、副業や短時間労働を希望する個人と、人手不足に悩む小売・飲食・物流業者。アプリ上で、数時間単位の仕事を手軽に検索・応募し、勤務後すぐに報酬を受け取れる仕組みを整えた。
当初の構想は、メルカリが培ってきた「CtoCの信頼基盤」を労働市場に応用することだった。フリマアプリで確立した「相互評価」や「即時支払い」のUXを、スキマバイトに横展開できると踏んだのだ。
さらに、メルペイによる決済機能や身元確認技術、メルカリShopsなどの既存サービスとの連携も見込まれ、社内では「メルカリエコシステムの拡張」として期待が高まっていた。
だが、メルカリ ハロの開始から2年を待たずして、2025年10月14日、メルカリは「事業終了」を発表した。正確なユーザー数は非公表ながら、「登録者数は1200万人を超えた」と喧伝していた。だが、関係者によると実際の利用者は想定の数分の一にとどまり、加盟店舗数も伸び悩んだという。撤退理由として公式には「事業継続が難しいため」とのみ説明されているが、背景には複数の構造的要因があった。戦略コンサルタントの高野輝氏は次のように分析する。
1.タイミーが築いた「二面市場の壁」
「最大の競合は、言うまでもなくタイミーです。タイミーは2018年にサービスを開始し、累計ユーザー数800万人超、導入店舗数6万社を突破。コロナ禍を経て、飲食・物流・小売など労働需給が偏る業界で『即時人材確保インフラ』として定着していました。
つまり、メルカリが参入した時点で、スキマバイト市場はすでに“Winner takes all(勝者総取り)”の状況だったわけです。
日雇い型マッチングは、ネットワーク効果が極めて強いビジネスなので、求人側が多いほど労働者が集まり、労働者が多いほど求人も増えます。メルカリ ハロはこの二面市場の『初期ネットワーク』を構築できず、好循環を生み出す前に撤退を余儀なくされたといえます」
2.メルカリブランドの“意外な非親和性”
「もう一つの要因は、メルカリブランド自体の特性です。メルカリは『不要品の売買』=『副収入』イメージが強く、『働く』よりも『稼ぐ』文脈に結びつきます。そのため、『仕事探し』という文脈でのブランド信頼は必ずしも高くなかったといえます。
一方のタイミーは、“仕事を通じて人と企業をつなぐ”という理念を前面に打ち出し、厚労省とも連携するなど社会的信頼を高めていました。結果的に、ユーザーは『働くならタイミー』『売るならメルカリ』と、明確に住み分けたと考えられます」
3.オペレーションの煩雑さと法規制の壁
「短期雇用には労働基準法・職業安定法など複雑な法的要件が絡みます。タイミーは独自の仕組みで『直接雇用型マッチング』を実現し、労働者保護とスピードを両立しています。これに対してメルカリ ハロは、リリース初期に『業務委託型』と『雇用型』が混在していたため、現場の混乱を招いたと指摘されています。特に飲食・小売業では、即日雇用や給与計算のオペレーションコストが重く、企業側の導入ハードルは想定以上に高かったと考えられます」
経営判断としての「早期撤退」
一方で、事業撤退の発表は、スタートアップ的観点では「英断」ともいえる。一般に新規事業が赤字を垂れ流しながら数年継続するなか、メルカリはわずか1年半で撤退を決断。これは「損切りの速さ」こそが、次の成長機会を生むという経営哲学に基づく。
実際、メルカリは過去にも「メルカリNOW」「メルカリ カウル」「メルカリ アッテ」など複数の新規事業をクローズしている。
しかしそのたびに、組織やUXの知見を本体事業へ還元してきた。今回の撤退でも、本人確認技術や報酬即時支払いシステムなど、メルカリ ハロで得た技術資産を他事業に転用できる可能性が高い。
タイミーとの本質的な違い
両者の違いを整理すると、単なる「サービスの差」ではなく、思想と構造の差に行き着く。
・メルカリ ハロ
目的 メルカリエコシステムの拡張
収益源 手数料+決済連携
ブランド認知 CtoC・副収入
ネットワーク効果 初期ユーザー不足
規制対応 雇用/委託モデル混在
・タイミー
目的 “働く”をなめらかにする社会基盤づくり
収益源 成功報酬型マッチングフィー
ブランド認知 就業・信頼・社会インフラ
ネットワーク効果 数百万単位の実績・リピート率高
規制対応 法的整合性を重視した雇用モデル
タイミーは単なる求人マッチングではなく、「即時就業体験」を社会のインフラにまで高めている。この「理念と制度の統合」こそ、模倣が最も難しい部分だ。
「ハロ撤退」から見える教訓
1.ブランドの拡張には、ユーザー心理の“文脈転換”が必要
同じ個人を対象にしていても、「売る」と「働く」では行動原理が異なる。
既存ブランドをそのまま横展開しても、ユーザーの心理的スイッチは切り替わらない。
2.プラットフォーム型事業は“初期の臨界点”が全て
特に二面市場では、数十万単位の利用者を早期に確保できなければ好循環は生まれない。メルカリのような大手企業でも、他社が築いたネットワークの牙城を崩すのは極めて困難。
3.撤退もまた、成長戦略の一部
失敗を恐れず小さく試し、成果が見えなければ早く畳む。「探索→撤退→再挑戦」のサイクルを高速に回せる企業文化が、結果的に次のヒット事業を生む。
今回のケースは、大企業の新規事業部だけでなく、スタートアップにも多くの学びを与える。一見「メルカリほどの知名度と資金力があれば勝てる」と思われがちだが、実際には“市場タイミング”と“構造理解”が全てである。メルカリ ハロは、「すでに定着した行動習慣をどう変えるか」という難題に挑んだが、それは“ゼロから市場を創る”よりも難しい。
一方のタイミーは、長年の泥臭い営業と制度設計の積み重ねで信頼を築いてきた。スタートアップにとっては、「巨人が参入しても勝てない市場」を逆手に取り、特定領域での深耕・差別化・ローカル戦略を磨くことが、次のチャンスを生む。
メルカリ ハロの撤退は、表面的には「失敗」だが、組織学的には「失敗を糧に次へ進む実験」だ。同社は今後、メルカリShopsやメルペイ、そしてAI出品機能など、既存事業の深化にリソースを再集中させると見られる。
「やめる勇気」を持てる企業は強い。それは、事業を守るためではなく、挑戦を続けるための撤退である。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=高野輝/戦略コンサルタント)