免疫の暴走を抑える「制御性T細胞(Treg)」を、自己免疫疾患などさまざまな病気の治療に応用する研究が活発になっている。Tregは、今年のノーベル生理学・医学賞に選ばれた坂口志文・大阪大学特別栄誉教授らが発見した免疫細胞。坂口氏が参加する2つの研究チームがそれぞれまとめた論文が、10月22日付の米科学誌「サイエンス・トランスレーショナル・メディシン」に同時に掲載された。
免疫は、細胞やウイルスなどの外敵から生体を守る重要な働きをする。Tregは、免疫が時に暴走して生体自身を攻撃してしまうのを抑えるブレーキ役を担う。自己免疫疾患やアレルギーなどの炎症性疾患のほか、免疫が大きく関係するがんの治療への応用が期待され、Tregを扱う研究現場は勢いづいている。
ノーベル賞受賞が決まりお祝いの花束を手にする坂口志文氏(大阪大学提供)
人工的に大量に作製する方法を開発
坂口氏の受賞決定で一躍注目を浴びたTregは、既に研究現場では着々と応用研究が進んでいた。Tregを活用するためには、生体内に存在するTreg(nTreg)を回収し、試験管内で刺激を加えて増殖させ、再投与する必要がある。ただ、材料となるnTregは少なく、培養時の安定性に欠けるなどの課題があった。このため、安定して大量に作製する方法が求められていた。
大阪大学免疫学フロンティア研究センターの三上統久特任准教授や坂口氏らの研究チームは、培養方法に複数の工夫と改善を重ねた。これらを組み合わせ、疾患マウスから取り出したT細胞を基に人工的に多くのTreg を安定して大量に作製する製造方法を開発した。
三上氏らは、新たな方法で作製したTreg(iTreg)を大腸炎や骨髄移植後に起きる炎症性合併症「移植片対宿主病(GVHD)」のモデルマウスに投与する実験をした。その結果、大腸炎マウスの体重減少を6週間以上も抑制し、GVHDマウスの生存期間を延ばすといった効果を確認したという。
研究チームはさらに、クローン病や全身性エリテマトーデス(SLE)などの自己免疫疾患の患者の血液からT細胞を精製し、これを原料としてTregを安定的に作製することにも成功した。試験管内で作製したTregが、患者の炎症性T細胞の増殖を抑える効果を確認したという。実用化につながる成果だ。
大阪大学の研究グループの成果をまとめた概念図(大阪大学提供)
マウス実験で難病の進行を抑制
一方、慶應大学医学部皮膚科学教室の天谷雅行教授らと理化学研究所の研究者らは、大阪大学の研究チームが開発した方法でできたTreg を活用し、自己免疫疾患の難病「尋常性天疱瘡(てんぽうそう)」のモデルマウスの症状を抑制することを実証したと発表した。
尋常性天疱瘡は、皮膚を構成する「角化細胞」の接着に関わるタンパク質に対して自己抗体ができてしまい、細胞の接着がはがれることで全身に水ぶくれができる難治性の病気だ。
天谷氏らが尋常性天疱瘡マウスにTreg を投与したところ、投与しないマウスと比べて症状が有意に抑えられたことを確認したという。天谷氏らは、天疱瘡に限らず、自己免疫疾患や移植の拒絶反応など、さまざまな免疫異常の治療につながる可能性があるとみている。
今回、同時に論文を発表した大阪大学の三上氏らと慶應大学の天谷氏らは、坂口氏を軸に密接に連携している。2つの研究チームの成果はいずれもマウス実験での成果で、今後の臨床応用に期待が集まる。人工的に作ったTreg を人の体内に戻した場合の安全性や有効性を調べる必要があるが、いずれの研究チームも実用化に向けて意気盛んだ。
慶應大学の研究グループの成果をまとめた概念図(慶應大学/理化学研究所提供)
Treg を投与した尋常性天疱瘡マウスは投与しないマウスと比べて症状が有意に抑えられたことを示すグラフ(慶應大学/理化学研究所提供)
がん治療への応用にも期待
Tregを利用した治療法はまだ医療現場では実用化できていないものの、自己免疫疾患やがんなどを対象に国内外で臨床試験(治験)が進められている。その数は多く、200件を超えるとも言われる。坂口氏らの成果を基に2016年に設立された大阪大学発のスタートアップ「レグセル」は現在、本社を米カリフォルニア州に移し、来年中の自己免疫疾患治療薬の治験開始を目指している。海外では既に、Tregを1型糖尿病や多発性硬化症(MS)の治療に使う治験が進行中だ。
がんの予防や治療への応用にも期待が集まっている。免疫機構ががん細胞を「外敵」と見なして攻撃するのに対抗し、がん細胞はTregを周囲に集め、免疫にブレーキをかけるTregの機能を利用しながら免疫細胞からの攻撃を回避している。坂口氏らの発見がなかったら、こうした仕組みも分らなかっただろう。
国立がん研究センターによると、悪性黒色腫や肺がんなどの多くのがん細胞を取り巻く組織(腫瘍微小環境)では、活性化して免疫抑制機能が高まったTregが増加していることが確認されている。
2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑氏の授賞理由は、免疫の力を抑制する免疫細胞上のタンパク質「PD1」を発見した成果で、そのPD1を阻害する治療薬「オプジーボ」が開発された。同じ仕組みの薬を利用した「がん免疫」が注目されているものの、効きにくいがんもあるなどの課題がある。このため、過剰なTregの活性を抑えることにより治療薬の効果を高める応用研究が、国内外で盛んになっている。
がんと制御性T細胞(Treg)との複雑な関係を示した図(国立がん研究センター提供)
本庶佑氏(ノーベル財団提供)
国内外の研究者たちが「成果」
国内でも国立がん研究センターなどが研究成果を発表している。同センター腫瘍免疫研究分野の西川博嘉分野長は、坂口氏がいた免疫学フロンティアセンターにも所属し、研究室をともにしている。西川分野長らは3年前にがん組織でTregが活性化する際に鍵となる分子を発見したと発表。その後も臨床応用に向けて精力的に研究を続けている。
坂口氏は受賞決定後の記者会見で「(自分の研究が)人の病気の治療や予防につながってほしい」と臨床研究の進展に期待を寄せた。自らも「がん免疫療法」の進展に携わる研究に意欲を見せた。Tregは免疫のバランスを保つ「調整薬」としてとても重要な働きをする。まだ現役研究者でもある坂口氏の周辺で、国内の多くの研究機関や海外でTregに注目した研究者の成果が確実に上がっている。
受賞決定翌日の10月7日に大阪大学本部で多くの同大学の関係者に囲まれる坂口氏。同氏はまだ現役の研究者だ(垂れ幕の右側)(大阪大学提供)