「心の余白」を広げるために―テクノロジーでろう・難聴者と聴者の壁を乗り越える、本多達也さん

Science Portal 6 時 前
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 私たちの周りには、人と人とを隔ててしまう見えない壁のようなものがある。例えば、耳が聞こえる人(聴者)の多くは、耳が聞こえない・聞こえにくい人(ろう・難聴者)と関わる機会がほとんどない。学校教育も別々に行われることが多い。しかしこのような壁も、少しの工夫やアイデアがあれば乗り越えられるかもしれない。

 富士通のソーシャル・イントラプレナー(社会課題を解決する社内起業家)である本多達也さんは、音を振動と光に変換する「Ontenna(オンテナ)」を発明。身体や感覚を拡張するテクノロジーを駆使し、これまで遠い存在だった人々が交じり合うことから生まれる新しい世界を創出しようとしている。

オンテナは背面のクリップで髪の毛など身体に身に着ける仕様のため、聴力に左右されず共通の情報を受け取ることができるオンテナは背面のクリップで髪の毛など身体に身に着ける仕様のため、聴力に左右されず共通の情報を受け取ることができる

8割以上のろう学校で使用される「オンテナ」

―本多さんの代表的な発明品「Ontenna(オンテナ)」について教えてください。

 周囲の音を振動と光に変換することで、その音が持つリズムや特徴を感じ取るデバイスです。60~90デシベルの音を、256段階の振動と光の強さで伝えています。2019年7月にサービスを立ち上げ、同年8月から一般販売を始めました。

―具体的にどんな場面で活用されているのですか。

 全国の8割以上のろう学校で、聴覚障害のある子どもたちの発話訓練に使われています。音の大きさに合わせて振動しながら光を発するので、自分の声量や、自分の声が相手に届いているかが視覚的にわかるんですね。また、音楽のリズムを取るための練習でも活用されています。

オンテナを導入したろう学校では、児童生徒の発話練習での有効性に加え、先生の負担軽減にも役立ったという(富士通提供)オンテナを導入したろう学校では、児童生徒の発話練習での有効性に加え、先生の負担軽減にも役立ったという(富士通提供)

 音を使ったパフォーマンス会場でも活用されています。例えばタップダンスのイベントでは、ろう・難聴者はその面白さを初めて感じ取ることができ、聴者は音を振動で感じるという新体験を楽しむことができました。オンテナは「拡張された感覚」をもたらすところがあって、誰にとっても楽しい体験を得ることが可能になるんです。障害を超えて会場に一体感が生まれました。

本多さんが働く富士通本店の所在地である川崎市をホームタウンとするJリーグ「川崎フロンターレ」の試合でもオンテナを試行した(富士通提供)本多さんが働く富士通本店の所在地である川崎市をホームタウンとするJリーグ「川崎フロンターレ」の試合でもオンテナを試行した(富士通提供)

 今は海外展開も図っていて、来年から英国やドイツ、北米や南米でもオンテナを販売する予定です。ろう者の教育現場はもちろん、音楽や映像のイベントや舞台作品などのエンターテインメントの場でも利用されることを期待しています。

「音を共有したい」から始まった

―オンテナを開発したきっかけを教えてください。

 公立はこだて未来大学1年時の文化祭がきっかけでした。ろう者の方々を案内した際、初めて手話を間近で見たんです。そのときに「函館聴覚障がい者協会」の会長さんと一緒に温泉へ行くほど仲良くなり、手話を教えてもらうことになったんです。「手話って面白いな」と思うようになって、検定試験の受験、手話サークルの立ち上げ、手話ボランティア、ろう者の方たちとのNPO設立など、さまざまなことに取り組みましたね。

学生時代から手話を用いた活動に精力的に取り組んできた本多さん(ご本人提供)学生時代から手話を用いた活動に精力的に取り組んできた本多さん(ご本人提供)

 ただ、ろう者の方とコミュニケーションが取れるようになった一方で、逆に音を共有できない瞬間をより強く意識するようにもなったんです。例えば、一緒に歩いていて横で犬が急にほえても、僕だけ驚いて隣のろう者の方は反応しない。大みそかにテレビを一緒に観ていても、紅白歌合戦を楽しめていない。それで「一緒に楽しむにはどうすればいいのかな」と考えるようになったんです。

―どのような経緯で今の形にたどり着いたのですか。

 オンテナの開発は、大学時代の研究テーマだった「情報デザイン」の一環としてろう者の方と一緒に取り組みました。2012年頃ですね。最初は、周りの音に反応して、その大きさに合わせてピカピカ光る棒のようなものを作りました。でも、ろう者の皆さんからは「目がチカチカして邪魔」と酷評されました。

 どうしようかと模索する中で、振動で伝える方法にたどり着いたんです。装着する場所もいろいろと試してみた結果、意外にも「髪の毛につけると良いぞ」とわかって。こうして音を共有できる装置を作ったら、意外にもろう者の方だけではなく、耳が聞こえる人にとっても楽しいものができ上がったんです。

社会的な幸せをどうデザインするか

―デンマークで共創デザインの勉強をされていたそうですね。

 去年まで「デンマークデザインセンター」という国営のデザインコンサルティングファームで働きながらデザインの勉強をしていました。そこで強く感じたのは、自分とは異なる存在を受け入れる「心の余白」がたくさんあるということです。デンマークにはろう学校がなく、聴者と同じクラスで学んでいることが特に印象的でした。

 私の職場の人たちも、普段はデンマーク語で話しているのに、私が輪に入ると自然と英語に変えてくれるんです。誰かが指示したわけでもなく、本当に自然に。そのとき「この国の人はお互いを包み込むような心の余白が多い」と感じたんですね。デンマークでは、このような社会的な幸せをどうやってデザインするかという観点が至るところにあるんです。感銘を受けた一方で、日本社会にはまだ分断が多いとも感じました。

デンマークの学校に表示されていた手話のサイン。街中や建築物など至るところに包摂性が感じられたという(富士通提供)デンマークの学校に表示されていた手話のサイン。街中や建築物など至るところに包摂性が感じられたという(富士通提供)

音を視覚的に表現した「エキマトペ」

 それで帰国後、「どうすれば日本でも心の余白を広げられるのか」が、自分の大きなテーマの1つになったんです。日本にはもともと“おもてなし”の文化があり、相手の気持ちに寄り添う心があったはず。その良さをもっと発揮できる社会にしたいと思い、そのチャレンジの1つとして取り組んだのが「エキマトペ」です。

―エキマトペはどのような経緯で開発されたのですか。

 オンテナの製品化にあたって、ろう学校の先生や子どもたちに協力してもらったのですが、そのときに電車を使って通学する生徒が多いと知ったんです。そこで、より安心安全に、そして明日も学校に行きたくなるような「未来の通学」をデザインしようと、JR東日本、大日本印刷と企画を立ち上げました。

 駅には、電車の走行音、ドアの開閉音、駅員さんのアナウンスなど、さまざまな音があります。これらの音を、AIを使ってリアルタイムで文字と手話で視覚的に表現するのですが、機能性にかかわるアイデアは「駅で流れる特徴的な音を通して、もっと駅を好きになってほしい」というJR東日本の方の思いから生まれました。

駅のホームにあふれる音を視覚的に表現する装置「エキマトペ」。AIが電車の発着音やドアの開閉音、アナウンスの音などを識別し、文字や手話、オノマトペ(擬音語と擬態語の総称)のアニメーションで表示する駅のホームにあふれる音を視覚的に表現する装置「エキマトペ」。AIが電車の発着音やドアの開閉音、アナウンスの音などを識別し、文字や手話、オノマトペ(擬音語と擬態語の総称)のアニメーションで表示する

子どもたちも共に考えた「未来の通学」

―先生・駅員さんの思いやアイデアを、どう形にしていったのですか。

 一番のテーマは、音の特徴をどう表現すれば良いか。そこで、フォント開発を手掛ける大日本印刷に、音や言葉に合わせて書体を自動的に切り替える「感情表現フォントシステム」で表現してもらいました。システム全体を作ったのは、当社でスーパーコンピューターの開発などを手がけるバリバリのAIエンジニアです。

 このように専門性の異なる企業の人たちが、ろう学校の子どもたちや先生たちと触れ合う中で、ものづくり魂に火がついたんです。子どもたちも「未来の通学」をテーマに、楽しい通学のあり方を一生懸命考えてくれました。まさに「共創デザイン」ですよね。力を合わせ、短期間で素晴らしいものを作り上げることができました。

エキマトペの着想につながった、川崎市立聾学校の生徒が考えた「未来の通学」のアイデア(富士通提供)エキマトペの着想につながった、川崎市立聾学校の生徒が考えた「未来の通学」のアイデア(富士通提供)

―駅の利用者にはどんな反応が見られましたか。

 期間限定でしたが駅のホーム上に設置することができて、ろう学校の生徒たちからは「こんなにたくさんの音が駅にあったなんて」「耳が聞こえる人と同じ場所に立てた気がする」といった声をたくさんいただきました。聴者の方たちも、駅で音がマンガ風のオノマトペで表示されるのを見て、SNSで「面白い」「手話に興味を持った」と投稿してくれました。

 加えてとてもうれしかったのは、駅員さんたちがエキマトペに触発されて自主的に手話を学び始めたり、筆談の案内を増やすことを検討したりするようになったことです。僕がプロジェクトでいつも一番大事にしているのは、今まで接点のなかった人同士が出会い、少しでも未知の存在を受け入れる「心の余白」が広がっていくことです。

JR上野駅(東京都台東区)のホーム上に設置されたエキマトペ(富士通提供)JR上野駅(東京都台東区)のホーム上に設置されたエキマトペ(富士通提供)

―本多さんの思いを実現する上で、テクノロジーはどんな役目を果たしてくれる存在ですか。

 必ずしも必要ではないけれど、テクノロジーがあることで立場の違う人たちの関係性が近づきやすくなると思うんですよね。モノを作るときも、いろいろな人や企業が交じり合うと相乗効果が生まれ、技術的にも次元を引き上げることができると感じます。今後さらに発想や人の輪を広げて、いろいろな人たちと共創したいですね。そして、分断されていた人たちがつながって、テクノロジーの力で感覚的な部分までを共有するための挑戦を続けたいと思っています。

交わりの場、デフリンピックとサイエンスアゴラ

―来月15日から耳が聞こえない・聞こえにくい人のための国際スポーツ大会「東京2025デフリンピック」が開催されますね。

 ぜひ会場に足を運んでください。耳が聞こえなくてもスポーツには影響が少ないと思われがちなんですが、実はすごくあるんです。スポーツに必要なリズム感って聴覚と親密に関わっているので。そんな中で選手たちは、独自の工夫でスキルを高めています。世界の頂点を決める大会なので、競技のレベルも高く観ていて楽しいと思いますよ。

―大会を通じて期待したいことは。

 デフリンピックでさまざまな人と交流することで、「心の余白」が広がってほしいと思っています。観客の拍手や声援は選手には聞こえませんが、東京大会では拍手の音をジェスチャーのサインに変えて掲示板に表示し、選手へ伝えるといった方法が検討されています。

 僕たちも、卓球競技の会場で観客にオンテナを身につけてもらうイベントを開催予定です。卓球のラリー音を振動や光でリアルに感じながら、障害の有無にかかわらずみんなでリズムに乗って楽しめる体験ができないかと。きっと新しい交わりが生まれます。そして応援してください。それが選手たちの力になります。

デフ(Deaf)は英語で「耳が聞こえない」という意味。デフ+オリンピックが名前の由来だ。11月15日から26日までの12日間、東京体育館(渋谷区)などで熱戦が繰り広げられるデフ(Deaf)は英語で「耳が聞こえない」という意味。デフ+オリンピックが名前の由来だ。11月15日から26日までの12日間、東京体育館(渋谷区)などで熱戦が繰り広げられる

―科学フォーラム「サイエンスアゴラ2025」(10月25日・26日、東京・お台場)の推進委員も務めていらっしゃいます。イベントの魅力を教えてください。

 膨大な熱量を持った研究者や学生、サークルなどが数多く出展します。熱意を持って取り組んでいる人の活動は、単純に面白いんですよ。「科学が好き」というエネルギーと、今まで自分が知らなかった未知の世界があふれている空間―それがサイエンスアゴラです。

 僕は委員の一人として、来場者が出展者たちの熱量に触れることで「自分も一歩踏み出してみよう」と思えるような場をつくることを心がけてきました。異質なものと出会ったときこそ、今までになかったものが生まれるんです。ぜひ、サイエンスアゴラでたくさんの人たちと交わってほしいですね。

「サイエンスアゴラ2024」で手話通訳者とともに登壇した本多さん「サイエンスアゴラ2024」で手話通訳者とともに登壇した本多さん

本多達也(ほんだ・たつや)

富士通コンバージングテクノロジー研究所 Ontennaプロジェクトリーダー

1990年香川県生まれ。2015年公立はこだて未来大学大学院博士前期課程修了。2016年富士通入社。2022年東京都立大学大学院博士後期課程修了。博士(芸術工学)。人間の身体や感覚の拡張をテーマに、ろう者と協働して新しい音知覚装置の研究を行う。経済産業省が情報処理推進機構(IPA)を通じて実施している「未踏事業」で、2014年度スーパークリエータに認定。2019年度グッドデザイン金賞。MIT Innovators Under 35 Japan2020。令和4年度全国発明表彰「恩賜発明賞」。令和7年度科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術賞など受賞多数。

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