【特集:荒波の先に見る大学像】第2回「Give」から業界の変革を目指す―冬の時代を越えて、信州大学繊維学部長 村上泰さん

Science Portal 2 日 前
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 明治時代に外貨獲得の手段として日本の近代化を支えた蚕糸業。その輸出量が世界一となった翌年の1910年、信州の地で一つの専門学校が産声を上げた。それから115年。繊維業の主役はカイコから化学へと置き換わり、産業構造も大きく変化する中、難局を乗り越え、旧制の専門学校から姿を変えて歴史を紡いできたのが信州大学繊維学部だ。日本唯一の学部は、なぜ今なお存続できているのだろうか。そのカギを探りに副学長(研究担当)で学部長の村上泰さんを訪ねると、業界と密な関係を築く独自の戦略が見えてきた。

前身の旧上田蚕糸専門学校時代に建てられた講堂前に立つ村上さん。講堂は国の登録有形文化財に指定されている前身の旧上田蚕糸専門学校時代に建てられた講堂前に立つ村上さん。講堂は国の登録有形文化財に指定されている

蚕糸業界のリーダー育成から始まった「繊維×異分野」

―「繊維学部」は日本の大学で唯一です。どんな特徴があるのですか。

 一般の方は繊維と聞くと、服などの衣類を思い浮かべるかもしれませんね。しかし実は自動車や航空機の部品、浄水器フィルターなど身近にある多様な製品に繊維技術が使われています。今や繊維は、建築、電子、機械などさまざまな産業で使われる要素技術の一つなのです。

 本学部一番の特徴は「繊維×異分野」です。「先進繊維・感性工学科」「機械・ロボット学科」「化学・材料学科」「応用生物科学科」の4学科があり、農学、理学、工学、医学などを横断して、材料や機械、ロボットなどの先端的な技術と繊維を組み合わせた教育と研究を展開しています。

長野県上田市の信州大学上田キャンパスには繊維学部のみが置かれ、教職員約200人、学生約1500人が在籍する。女子学生比率約30%、大学院進学率70%超は学部の特色の一つ長野県上田市の信州大学上田キャンパスには繊維学部のみが置かれ、教職員約200人、学生約1500人が在籍する。女子学生比率約30%、大学院進学率70%超は学部の特色の一つ

―100年以上に及ぶ歴史の歩みを教えてください。

 1910年の上田蚕糸専門学校の設立に始まります。当時、最大の輸出産業であった蚕糸業の人材育成拠点として上田の地が選ばれたのは、長野県内や隣の群馬県に製糸場があったことに加え、「蚕種(さんしゅ)」の製造が盛んだったからでしょう。記録があまり残っていないのですが、蚕種を全国各地に出荷していたこともあって、蚕糸業界のリーダーがこの学校で多く育ちました。

蚕種とはカイコの卵のこと。台紙の和紙に卵を産ませた「蚕卵紙(さんらんし)」が欧州へ多く出荷されていた。写真は明治初期に信州上田塩尻村(現在の上田市の一部)でつくられたもの(農林水産省提供)蚕種とはカイコの卵のこと。台紙の和紙に卵を産ませた「蚕卵紙(さんらんし)」が欧州へ多く出荷されていた。写真は明治初期に信州上田塩尻村(現在の上田市の一部)でつくられたもの(農林水産省提供)

貿易摩擦にオイルショック…長い冬の時代を越えて生まれた特色

―蚕糸から現在の繊維全般まで対象が広がったきっかけは。

 1930年代に米デュポンが「ナイロン」を発明したことです。これはインパクトが大きかった。一気に化学繊維の時代が訪れます。上田蚕糸専門学校も1940年に日本で初めて化学繊維の専門学科を設置しました。京都大学より1年、京都工芸繊維大学より2年早い開設です。

1930年代頃の上田蚕糸専門学校の様子(信州大学提供)1930年代頃の上田蚕糸専門学校の様子(信州大学提供)

 そして1949年に信州大学が発足。長野県内にあった複数の高等教育機関を包括するような形で誕生したのですが、上田繊維専門学校はその伝統の長さから信州大に加わるのをためらうところもあったようです。ただ、最終的には「繊維学部」として合流しました。

 戦後復興期、日本の化学繊維は輸出が拡大して国を支える一大産業に発展していました。当時の繊維学部も活気があったようです。ただ1970年代になると、日米貿易摩擦で繊維の輸出制限が厳しくなってしまったんです。オイルショックが重なったこともあって、そこから繊維業界には長い冬の時代が訪れました。本学部も存続の危機に直面し、「お取りつぶし」が本格的に検討された時期もあったようです。

―村上さんも冬の時代を経験された一人なのですか。

 私が着任したのは、冬の時代真っ只中の1993年でした。研究資金が乏しく機材は旧式。重さを測るときは電子式の計量器ではなく、重りを使ったてんびん式でした。学生の実習はその使い方を学ぶところから始まっていたんです。もちろん高分解能電子顕微鏡もありません。使いたいときは松本キャンパスにある医学部までわざわざ行っていましたね。

 しかしその後、大転換が起きました。文部科学省が卓越した研究拠点の形成を目的に実施した「COE形成基礎研究費」に地方大学として初めて採択されたのです。

 当時のリーダー白井汪芳(ひろふさ)学部長(当時、現名誉教授)は、教員たちに「繊維に関わる研究なら予算を出す」と方針を掲げ、選択と集中により底上げを図ることを重視しました。すると、繊維と自身の専門分野を掛け合わせた新たな研究が次々に立ち上がって、今日まで続く「繊維×異分野」の特色が生まれたのです。この頃の研究の多くは成果を上げ、その後もコンセプトを踏襲した構想がさまざまな支援事業に採択されることになりました。

 そうした中で先進ファイバー(繊維)技術の研究拠点として最新設備の導入が実現し、産業界との連携もこの時期から加速しました。顕著な成果の1つが、地域における産学連携等を推進する文部科学省の「知的クラスター創成事業」において、谷口彬雄先生(現名誉教授)が手掛けた有機ELの研究です。保土谷化学工業との共同研究により、消費電力が従来比70%減の有機EL材料を開発するなどの成果が生まれました。こうした成果が認められ、平成17(2005)年度の第4回産学官連携功労者表彰では私たちの長野・上田スマートデバイスクラスターが文部科学大臣賞を受賞しています。

学部の歴史を振り返る中で「幾度もの難局と大転換があった」と語る村上さん学部の歴史を振り返る中で「幾度もの難局と大転換があった」と語る村上さん

メリットを提供し求められる存在に

―産業界とのつながりの強さは現在も学部の特色ですね。

 私たちの大きな特徴の一つは、名称から重点分野が明確であるという点でしょう。工学部や農学部で「繊維分野に力を入れる」と言ったら反対があるかもしれませんが、繊維学部では反対する人はいません。国もその役割を本学部に期待してくれていると思います。ただし日本で唯一の学部としての使命があるので、もし繊維業界から「何もしてくれない」と思われたら、その時点で存在価値を失います。

 企業との連携は簡単なものではありません。共同研究を持ちかけても、彼らにメリットがなければ絶対にやりません。では、どうすればいいのか。例えば、産学連携施設「ファイバーイノベーション・インキュベーター施設(Fii)」には先端的な評価装置や試作装置を意図的にそろえているのですが、これは企業の方たちが性能試験や試作品製作をやりやすくするためです。この施設の研究室に入れば、高価な装置を使って少量の試作や性能テストなどが容易にできますし、共同研究にもスムーズに進むことができます。

 このような連携支援の枠組みを生かし、例えば優れた耐火・耐熱性能をもつ防護服素材を、消防庁との共同研究などを通じて開発しています。最近では環境問題となっている繊維材料のリサイクルにも取り組んでいて、HKRITA(香港)、H&M財団(スウェーデン)、愛媛大学との連携によりポリエステルと綿を分離して再利用する技術の実現などの成果もFiiから生まれました。さまざまな工夫によって大学と企業の双方が利益を得られる仕組みをつくり、繊維業界から求められる存在になろうとしているわけです。

産学連携施設のFiiでは企業側のメリットを明示することで多くの共同研究が実現している。現在50室全てが埋まっているそうだ(信州大学提供)産学連携施設のFiiでは企業側のメリットを明示することで多くの共同研究が実現している。現在50室全てが埋まっているそうだ(信州大学提供)

業界の知見と人材拠点に、発想転換のタネは学部にある

―日本の繊維業界における課題は何ですか。

 今の繊維業は技術だけで利益を得るのは難しいです。日本の企業は繊維に高い機能性を付加しようとしますが、グローバルマーケットではあまり評価されません。中国やインド企業が大量生産する安価なものが、どうしても好まれるんです。

 安定的に利益を生むには、製品化から販売までのサプライチェーン全体を押さえることが必要です。本学部ではサプライチェーン自体の研究にも取り組んでいて、繊維関連の企業で実務を担う方を特任教授として積極的に迎え入れています。給料は払えないのですが、本学部の教員や他の特任教授たちと研究して得た知見は、企業に戻ったときに生かされるはずです。そうなれば、繊維のサプライチェーンを日本主導で構築することにつながります。

 こうした発想の転換が必要であり、そのタネこそ本学部にあるものです。それを日本の企業、特に地域産業の中核を担う中堅・中小企業に提供したい。本学部は海外大学とも盛んに連携しているので、今後は海外の大学を通して国内外の企業を有益に結び付けることも計画しています。

―業界を外から変えていくような存在になろうとしているんですね。

 そうですね。本学部が繊維業界の知見と人材が集まる拠点になれば、企業はますます人を出してくれるようになるでしょうし、本学部の研究力も高めることができます。そうなるためには、まずは大学側から企業に「Give」することが重要だと思っています。そして、企業が元気になった暁には大学に返してもらう―そんな良い循環を作りたいですね。

 この循環が実現すれば、学生の集め方も変わるかもしれません。繊維業の企業が地元の若者を集めて本学部に送ってもらい、ここでしっかり育てて企業にお返しするという「里帰り」の仕組みも作ることができるかもしれない。これからの地方大学は、教育・研究のための資源をいろいろな方法で集める必要があります。本学部のファンになってくれる繊維業の企業をたくさん作ることが大切だと思っています。

キャンパスから仰ぎ見る東信のシンボル「浅間山」。県内の他地域から入学する学生も多く約9割が一人暮らしをしているそうで「自立心の強い学生が多い」と村上さんキャンパスから仰ぎ見る東信のシンボル「浅間山」。県内の他地域から入学する学生も多く約9割が一人暮らしをしているそうで「自立心の強い学生が多い」と村上さん

「繊維学部」で良かったと思える発展を

―これからますます不透明な時代がやってきます。繊維学部は何を目指しますか。

 私が着任した冬の時代には「学部名から『繊維』を外せ」という声もありました。しかし今は、多くの関係者が「繊維学部で存続したほうがいい」と考えています。むしろ「繊維学部という名前で良かった」と思えるような発展を遂げなければ、やがて消滅してしまうでしょう。

 業界とのつながりを重視するのも、本学部が困難に直面したときに支え合える関係を築くためです。業界を応援し元気にしておくことが、いざというときの自分たちの支えになります。政策を作る官の人も巻き込み、関連産業、特に地域に根ざした中堅・中小企業を活性化することで、地方大学も生き残る。そのモデルの一つを本学部が作ることができれば、他にも展開できます。これからも独自色を出し続け、挑戦し続けます。それが本学部の宿命なのです。

村上泰(むらかみ・やすし)

信州大学副学長(研究担当)・繊維学部長

工学博士。信州大学学術研究院教授。1990年3月、東京工業大学大学院理工学研究科化学工学専攻 博士後期課程修了。1993年4月、信州大学繊維学部講師。1996年4月、同学部助教授。2007年4月、同学部教授。2024年4月から同学部長、同年10月から副学長。

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