【特集:荒波の先に見る大学像】第3回 人々の生活から宇宙まで―時代のニーズに応える、千葉大学園芸学部長 百原新さん

Science Portal 2 日 前
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 戦時中の食糧危機から高度経済成長期の公害問題、さらに昨今は気候変動や安全保障まで、時代の移ろいとともに社会にはさまざまな課題が浮上する。そうした課題に対し、116年もの長きにわたり「園芸学」で応えてきた千葉大学園芸学部。農学部でも環境学部でもない日本で唯一の学部として、今日も存在感を放っている。社会と「人」の問題に寄り添い続けた100年間とこれからの戦略を、副学長(研究・産学連携担当)で学部長の百原新さんに伺った。

園芸学部のみが置かれる松戸キャンパスのシンボル「フランス式庭園」を背にした百原さん(2025年8月)園芸学部のみが置かれる松戸キャンパスのシンボル「フランス式庭園」を背にした百原さん(2025年8月)

都市園芸に強み、景観や農業分野にも

―園芸学部の特色や今までのあゆみを教えてください。

 1909年(明治42年)に千葉県立園芸専門学校として創立されたのが起源です。大正時代に入ったのち千葉県立高等園芸学校に改称され、そのタイミングで現在のキャンパスができました。

食糧増産を求められていた時代に一時「農業」の看板を掲げるも、伝統の園芸学を承継。時代のニーズを汲み取りながら研究を積み重ねてきた(千葉大学ホームページ・学部案内冊子から作表)食糧増産を求められていた時代に一時「農業」の看板を掲げるも、伝統の園芸学を承継。時代のニーズを汲み取りながら研究を積み重ねてきた(千葉大学ホームページ・学部案内冊子から作表)

 シンボルともいえるフランス式、イタリア式の西洋庭園は、当時から教員と学生の手で整えられてきたそうです。本学で園芸やランドスケープ(景観)に関する実践的な知識・技術を培った学生たちは、全国の都市公園や緑地の整備に携わりました。

 また農業分野の技術も学べるのが特徴です。東京から近いこともあって、都市部でニーズの高い都市園芸に強みを持つのも1つの売りとなり、国立大学唯一の園芸学部として現在まで歴史を重ねています。

現在も学部やキャンパスのシンボルとして整えられているフランス式庭園(千葉大学提供)現在も学部やキャンパスのシンボルとして整えられているフランス式庭園(千葉大学提供)

―卒業生はどのような道に進む方が多いのですか。

 まずは公務員ですね。国から地方自治体まで、都市計画などの部門で活躍しています。民間だと種苗関係や造園業、食品関連の企業ですね。ほかにも農業試験場で活躍している人や農業を営んでいる人もいます。面白い方だと、植物図鑑を作った人なども。

―人材育成の一環として、学部生の卒業要件に海外留学を加えたそうですね。

 2020年度から全学で「全員留学」制度を導入しています。世界基準の幅広い知見と多面的な視点で物事を探求できるようになってもらうことが狙いです。

 制度がスタートした時期は新型コロナウイルス感染症の影響でオンライン留学にせざるを得ない学生も多く、最近ようやく現地留学できる状況になりました。まだ制度化から数年なので成果が分かるのもこれからかと思いますが、先日留学先で学生全員がお腹を壊してしまったんです。日本で生活していると便利で衛生的な環境が当たり前ですが、現地の生活をより知ることができたという意味では大事な経験だと感じています。

「外国語を学ぶ意欲も高まっている」と留学制度の手応えを語る百原さん「外国語を学ぶ意欲も高まっている」と留学制度の手応えを語る百原さん

人の領域に踏み込んだ研究、現場で解決に取り組む

―100年続く学部の価値はどこにあるとお感じですか。

 環境や農業をめぐる課題の解決に、現場で取り組んできた実績が大きいと思います。農家さんと緊密な関係を持っていることや、地域に根付いた活動をしているのも特徴かもしれません。まちづくりなどの地域課題にも、学生参加型の実習で取り組んでいます。

―課題解決に重きを置いているのですね。

 「身近な生活」に深く関わっている学部だと思います。たとえば「環境健康学」が専門の岩崎寛さん(園芸学研究院教授)は、植物を使うことでストレスの少ない空間の創出を目指しています。オフィスの快適性はもちろん、健康や福祉の面で植物がどのような効果をもたらすかなど、人の領域に踏み込んだ研究をしています。

 食や健康、公園や住居、コミュニティなどの生活空間で課題を見つけ、解決するための視点を持つこと。それが園芸学部共通のコアな部分かもしれません。

植物の療法的効果、医療福祉施設の緑化、緑による地域ケアの3つの柱で人と園芸療法に係る研究を行う岩崎さん。豆をテーマにした出前講座は地域ケアの一環(岩崎さん提供)植物の療法的効果、医療福祉施設の緑化、緑による地域ケアの3つの柱で人と園芸療法に係る研究を行う岩崎さん。豆をテーマにした出前講座は地域ケアの一環(岩崎さん提供)

―昨今は「食の安全保障」が話題になっています。

 「高機能な作物をいかに多く作るか」だけでなく、人手の問題から流通、経済までシステム全体を総合的に解決していかなくてはなりません。昨年から続くコメ価格高騰も、結局はシステムの過程で時間とコストがかかっているのが課題なんですよね。広い視野で解決していく必要があると思っています。

―システム全体の課題に対し、園芸学部はどのような貢献ができるとお考えですか。

 今の日本では、外国人労働者に農業を担ってもらう場面もあり、農村で外国人を含めたコミュニティをどう作っていくかが重要になっています。そうした農村の問題について、食料資源学科では農業経済学や社会学の観点を、緑地環境学科ではコミュニティにおける課題解決の観点をそれぞれ生かしながら、総合的な提案ができると考えています。

気候変動と人口減少が重点テーマだと語った百原さん気候変動と人口減少が重点テーマだと語った百原さん

「文理融合」と「教教分離」、子会社も設立

―100年を超える歴史の中で役割の変化はありましたか。

 1960年代、高度経済成長期に公害問題が注目され、当学部にも環境緑地学科ができました。環境の仕組みを解明し、環境保全・管理に関する理論や技術を学び、それらを具体的な空間領域に応用するための計画・実践方法を確立しようとしている学科です。それまで別に扱われていた環境系・園芸系が一緒になったのを機に、以降も学際的な改組・改変を繰り返して現在の形があります。

 そういった経緯もあり、園芸学部の大きな特徴には「文理融合」があります。つまり社会学と理学・農学を融合させて、いかにして人の生活を快適なものにしていくかが目標になっています。

―時代の要請に合わせて、幅広い知見を融合させているのですね。

 特にここ5年ほどですが、「教教分離」(学生が所属する教育組織と、教員が所属する教員組織を分ける)の方針で組織を改編しました。教育は従来の4学科制を採る一方で、研究組織は分野横断型の5講座制に移行させ、多くの学際プロジェクトが行われています。

研究組織(園芸学研究院)の単位である講座は、教育組織(園芸学部・園芸学研究科)のさまざまな領域を横断して教員が配置されている(千葉大学園芸学部ホームページより)研究組織(園芸学研究院)の単位である講座は、教育組織(園芸学部・園芸学研究科)のさまざまな領域を横断して教員が配置されている(千葉大学園芸学部ホームページより)

―近年は時代の変化が速いように思いますが、どんな手立てを講じる考えですか。

 需要の中で技術は発展していくわけですが、新しいものだけが重要とは思っていません。今ある技術も応用が利くので、それを企業などにどうアピールするかも大事だと思っています。そうした協力体制が整えられればスピーディーな対応ができるのではないでしょうか。

 企業との橋渡しを支える仕組みもさまざまなものがあります。全学組織の学術研究・イノベーション推進機構(IMO)に加え、4月には意思決定のスピード感を上げるため大学の100%子会社として「千葉大学コネクト」が設立されました。さらには連綿と続く同窓会組織も、各業界に広がるOB・OGとのマッチングを支援してくれています。

宇宙園芸で「どこでも栽培」を可能に

―園芸学部の新たな取り組みとして「宇宙園芸」が出てきていますが、どのようなことを研究しているのでしょうか。

 園芸学部でもともと培われていた温室から植物工場、施設園芸における技術の究極形が「宇宙園芸」です。つまり宇宙などの「資源が少ない中、コンパクトなスペースで食糧生産をする」という技術になります。逆を言えば、この技術を応用すれば地球上のどのような環境でも栽培が可能になるので、技術が確立されれば国際的な発展にもつながると思います。

3軸方向に常時回転させることで無重力環境を再現し、宇宙空間で植物がどのように根を張り実を付けるのかを実験する装置。育てていたのは千葉らしく落花生だった3軸方向に常時回転させることで無重力環境を再現し、宇宙空間で植物がどのように根を張り実を付けるのかを実験する装置。育てていたのは千葉らしく落花生だった

―宇宙園芸が既存技術の応用というのは新たな視点でした。

 培われた技術は他でも応用できます。たとえば植物工場ではコンパクトな植物を作らないといけませんが、ブドウを作るために、既存のブドウ棚では大きすぎます。だから今では、植木鉢サイズのポットで作れるようにしているんです。それが可能になれば多品種のブドウが一度に作れますし、環境を調整することで色々な味のワインも作れます。同じようなことが、今後さまざまな作物で進むのではないでしょうか。

―宇宙園芸によって、園芸のすごさや難しさが伝えられると感じました。

 いえ、難しさではなく「簡単に作れる」を売りにしたいんです。条件さえそろえれば誰でもできるという方向性にしたい。コストを下げられれば、ビジネスにつながって、いろんな人に関わってもらえます。

 果物の品種改良をするにも、今までは数十年かかる作業でした。でもデータサイエンスや遺伝子工学の延長の技術を使って、芽が出た段階で遺伝子の組成を調べて、おいしいものだけを選んで育てることも可能になりつつあります。手間も技術も必要だったものが、新しい技術によってシンプルにできてしまう。そのような農業を目指していく方向性が重要なのではないでしょうか。

 こうして担い手不足の解消や質の向上につながれば、農業の魅力が高まって裾野が広がります。さらには気候変動による環境変化で収量が下がっている作物なども、再び作れるようになるかもしれません。

宇宙園芸研究センター長の髙橋秀幸さん(左)と同特任教授の日出間純さんは「未解明の植物のメカニズムが宇宙園芸の研究を通じて明らかにできるかもしれない」と期待している宇宙園芸研究センター長の髙橋秀幸さん(左)と同特任教授の日出間純さんは「未解明の植物のメカニズムが宇宙園芸の研究を通じて明らかにできるかもしれない」と期待している

植物の力は未知数、どれだけ引き出せるか

―千葉大学は文部科学省のJ-PEAKS(地域中核・特色ある研究大学強化促進事業)に採択されていますが、園芸学部はどのように関わるのでしょうか。

 後藤英司さん(園芸学研究院教授)などが、機能性食品や薬用食物、特にワクチン米の開発に関与しています。園芸学部では以前から、光・栄養などを制御することで作物が持つ機能性を高めるための研究を行ってきました。今はその応用として、遺伝子操作によってワクチン米の研究が行われています。こうした医学部と連携した研究などは、J-PEAKSへの採択により加速されるのではないでしょうか。

コレラなどによる下痢症への有効性が期待されているワクチン米(ムコライス)。インフルエンザウイルスへの対応に向けた研究も進めている(千葉大学提供)コレラなどによる下痢症への有効性が期待されているワクチン米(ムコライス)。インフルエンザウイルスへの対応に向けた研究も進めている(千葉大学提供)

―最後に、千葉大学園芸学部の面白いところを教えてください。

 やはり植物の可能性をどれだけ引き出せるか。植物が持つ潜在的な力はいまだわかっていません。わかっていないから、まだまだチャレンジできるんですよね。宇宙に植物を持って行ったときには、また違う力が引き出せると思っています。

 植物の底力は、研究すればするほど明らかになってきます。それが植物の魅力や面白さです。生命進化の歴史の中で植物が誕生し、それが多様にあり、生態系となっています。そういった植物の魅力を発掘し、生かしていくことができるのが、この園芸学部だと思います。

百原新(ももはら・あらた)

千葉大学副学長(研究・産学連携担当)・大学院園芸学研究院長・園芸学研究科長・園芸学部長

大阪市立大学卒業後、千葉県立中央博物館学芸員を経て、1994年より千葉大学園芸学部に勤務。2024年4月より現職。理学博士。専門は環境考古学、古植物学、古生態学、保全生態学。現在の日本や東アジアで見られる植物・植生が、氷河時代の気候変化や縄文時代以降の人との関わりの歴史の中で、どのように形成されたかを、植生種子や果実、葉などの植物化石を使って研究している。日本植生史学会会長も務める。

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