NHKに提訴された日本IBMの反論が生々しい…仕様書に記載ない仕様が満載

Business Journal 3 週 前
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NHKに提訴された日本IBMの反論が生々しい…仕様書に記載ない仕様が満載の画像1日本IBM(「Wikipedia」より/Yoshi Canopus)

 NHKがシステム開発を委託していた日本IBMに対し、開発の遅延による契約解除に伴い計約55億円の代金の返還と損害賠償を求めて東京地裁に提訴した係争事案。NHKは、日本IBMが開発の途中で突然、NHKに対して大幅な開発方式の見直しと納期遅延を要求したと主張しているが、これに対し日本IBMは7日、以下のリリースを発表して反論したことがIT業界内で注目されている。

<現行システムの解析を進める中で、提案時に(編集部追記:NHKから)取得した要求仕様書では把握できない、長年の利用の中で複雑に作り込まれた構造となっていることが判明したため、当社はNHKに対し、解析の進捗状況、課題およびそれに対する対応策を随時報告し、共にその対応を検討してまいりました。こうした中で当社は、同システムを利用する業務の重要性も鑑みて、NHK指定の移行方針による2027年3月までの安全かつ確実なシステム移行にはリスクを伴うことを伝えてまいりました。そして、2024年5月に、従来の納期のもとで品質を確保した履行は困難であることを報告し、取りうる選択肢とそれぞれの利点およびリスク等を提示いたしました。 NHKは、これをふまえて契約を解除することを決定されました>

<当社は、これまでの解析・調査結果等をふまえて、より確実な移行方式の実現に向けた建設的な協議の開始について、2024年の夏以降、先月に至るまで幾度も申入れてまいりました。しかしながら、NHKは、協議の開始に応じることなく代金の返還と損害賠償請求を主張するにとどまり、この度当社に対し訴訟提起したことを公表されました>

 もし日本IBMの主張が事実であるならば、NHKはベンダーに対して内容的に不足のある仕様書を提示し、ベンダーから課題やシステム移行方式・スケジュールの見直しを幾度となく提案されたにもかかわらず、協議に応じなかったということになる。システム開発の現場では、このような事態はよくみられるものなのか。また、近年では発注者とベンダー間で争われる裁判でベンダーに損害賠償を命じる判断が増えているが、日本IBMが損害賠償の命令を免れる可能性はあるのか。専門家の見解を交えて追ってみたい。

非常に多いパターン

 NHKが進めていたのは、受信料関係業務全般を支える営業基幹システムの刷新。NHKのリリースによれば、NHKと日本IBMは2022年12月にシステム開発・移行業務の業務委託契約を締結。27年3月を納期としてプロジェクトを推進していたが、24年3~5月、日本IBMが大幅な開発方式の見直しが必要だと主張した上で納期の1年6カ月以上もの遅延が生じるとNHKに申し入れ。NHKは事業継続に大きな支障が生じると判断して24年8月に日本IBMとの業務委託契約を解除し、同社に対して代金の返還を要求。返還されなかったため提訴に踏み切ったという。

 NHKが係争の存在を公表した3日後の今月7日、日本IBMは前述のリリースを公表したわけだが、大手SIerのプロジェクトマネージャー(PM)はいう。

「10年以上にわたり稼働しているようなシステムに数多くの機能が追加されたり、属人的な運用が行われるようになり、ドキュメント化されていない機能・仕様や運用が存在してしまい、全面的な更改や移行の際に想定以上のコストや開発スケジュール遅延が生じてしまうというケースは非常に多いです。本来であればそうした仕様は初期の検討や要件定義の段階で発注者側が社内の関係部門を調整して洗い出し、新システムで実装すべき仕様と不要な仕様を選別したり、現場の業務オペレーションが変更になる旨を説明して合意形成を行うべきなのですが、システム部門がそれを十分にできておらず、いざ開発が始まると火を噴き始めるというのは非常によくあるパターンです。特にシステムに関する知見が乏しかったり、社内の力関係的に業務部門のほうが強かったりすると、そのような事態に陥りやすいです。

 そして、開発フェーズに入って想定外の仕様が次々と見つかっても、とにかく当初の費用とスケジュールに収めることをベンダーにゴリ押しする発注者もいます。NHKがそのようなタイプなのかは分かりませんが、少なくても日本IBMの声明を読む限り、NHKがしっかりとベンダーの言うことに耳を傾けて、対等なパートナーとして課題を解決しようとする姿勢を見せていたのかどうかが気になります」

 別の大手SIerのシステムエンジニア(SE)はいう。

「気になるのは、現行システムは富士通が開発したものなので次期システムも同社が担当するという流れが自然ですが、違うベンダーが選ばれているという点です。長年にわたる稼働のなかで複雑化した現行システムの実情をある程度把握している富士通が、多くの開発工数が必要だと考えてコンペで競合他社より高い費用見積もりを提示したことで、より低額の見積もりを提示した他ベンダが選ばれた可能性もあります。

 また、もし日本のベンダーであればNHKという大きな重要顧客だということも加味して、ある程度は無理難題を要求されても“自前でなんとかする”というかたちになったかもしれませんが、外資系ベンダーは追加開発に伴う追加費用やスケジュール見直しについて非常にドライに要求する傾向があることも、法的紛争に発展した背景としてはあるかもしれません」

「要求定義」と「要件定義」

 裁判所が、NHKが要求している代金の返還と損害賠償を認めないという判断をする可能性はあるのか。山岸純法律事務所の山岸純弁護士はいう。

「システム開発においては、一般的に『要求定義』、すなわち『今はこれだが、これからあれを開発して欲しい』という依頼者側の求めをまとめる作業と、『要件定義』、すなわち『これからこれを開発します』という開発者側の理解をまとめる作業があります。今回の日本IBMの言い分は、NHKから『今はこれだが』と言われたものが間違っていたので開発するのが難しくなった、というものかと思います。

 システム開発の失敗を原因とする裁判をよく見るのですが、『要求定義』か『要件定義』のどちらか、または双方があいまいだったために失敗する例がほとんどです。このため、今後、依頼者側が提出した『要求定義』と、開発者側が提出した『要件定義』と、どちらに非があったのかが争点となります。

 こういった裁判で、極めて重要な“決め手”となるのは、キックオフから開発破綻まで、何度も何度も重ねられてきた会議の『議事録』です。裁判ではこの『議事録』をもとに、

・いつの時点で、
・開発に関するどんな問題が発生し、
・各当事者はどのような行動をしたのか、

を過去に戻って紐解いていく作業となります(議事録がない場合は、もはや“泥沼”です)。

 はたして日本IBMが言っているように『あの時、このままだとこうなってしまうよ、と言っていたじゃん』といったことが認められる場合には、(契約内容による修正もあるかもしれませんが)『このまま』にしたことがNHKの責めに帰すべき事由なら、損害賠償は認められません。しかし、システム運用の歴史があるとはいえ、NHKはシステム開発について素人であるのに対し、日本IBMはプロ中のプロです。このため、『こうなるよって、言っていたじゃん』による免責は、ある程度修正されることでしょう」

(文=Business Journal編集部、協力=山岸純/山岸純法律事務所・弁護士)

 当サイトは2月5日付記事『システム開発中止で日本IBMへの損害賠償請求が相次ぐ背景…NHKも』で本件を報じていたが、以下に再掲載する。

――以下、再掲載(一部抜粋)――

 データアナリストで鶴見教育工学研究所の田中健太氏はいう。

「NHK受信料関係業務のシステムというのは世界に一つしかなく、非常に特殊なシステムなので、日本IBMとしては当初は開発できる知見が自社にあると考えていたものの、実際に開発してみると目論見と大きく違う点が多く出てきたという可能性はあるでしょう。

 一つ気になるのは、現行システムは富士通のメインフレームが使われており、更新作業も富士通が担うというのが自然な流れですが、富士通が受注しなかったという点です。金額的に折り合いがつかなかったのか、日本IBMが低い金額で入札したのか、いくつか理由が考えられますが、もし仮に日本IBMが受注することを優先して低い金額で契約していたとしたら、プロジェクト体制として人員が足りなくなり、取り決めた開発方式やスケジュールでは難しくなったというパターンも考えられるでしょう。

 このほか、日本IBMは2021年に分社化のかたちでITインフラストラクチャーの構築を主な業務とするキンドリルジャパンを立ち上げており、NHKとの契約はその翌年なので、分社化によって大規模システムの開発ノウハウを持つ人材が日本IBM内に少なくなってしまったという可能性も考えられます」

 大手SIerのSEはいう。

「どんなに要件定義や設計の段階で仕様を固めても、実際に開発を進めていくと当初の見積もり以上の工数がかかる作業が多かったり、現場の業務フローや他システムとの接続・連携の兼ね合いで仕様を変更せざるを得なくなるということは、珍しいことではありません。発注元企業のなかでIT部門やシステム子会社が、各部門の要件を十分にまとめきれていなかったり、業務フローの変更についてきちんと合意を得られないまま突っ走ってしまい、各部門から反発を受けて仕様のほうを変えざるを得なくなるということも、よくあります。

 そうした目論見違いが潰していけるレベルで収まればなんとか開発を進行させることができますが、規模や頻度が一定レベルを超えるとプロジェクトの進捗に支障が生じ、ベンダー側で工数増加やスケジュールの伸長が生じて、発注元企業は追加費用や開発の進め方の大幅な見直しを求められるということになります」

外資系ベンダーと日本企業ベンダーの違い

 NHKは開発を解除して代金の返還を求めたということだが、契約上、そのようなことは可能なのか。

「一般的なシステム開発の業務委託契約書では、相手方が契約書の定めに違反した場合は一方的に解除できると定められており、NHKとしては日本IBMが予め取り決めた開発方式や納期を守らないので解除したという論理でしょう。また、業務委託契約は成果物の納品とその検収をもって完了となりますが、システム開発が未完のまま納品物も納品されていないので代金は支払えませんよ、という主張でしょう。とはいえ、すでに日本IBM側では多くの工数が発生しており、今後の裁判のなかで『NHKと日本IBMの間で、開発が頓挫した責任の割合はどうだったのか』という点が争われて、裁判所がその責任割合を判断して賠償額を決めるということになるでしょう」(大手SIerのSE)

 日本IBMといえばNHKや前述の文化シヤッターとの契約以外でも、発注元との係争に発展する事例がしばしば生じている。野村ホールディングス(HD)と証券子会社・野村證券は2010年、社内業務にパッケージソフトを導入するシステム開発業務を日本IBMに委託したが、作業が大幅に遅延したことから野村は開発を中止すると判断し、13年にIBMに契約解除を伝達。そして同年には野村が日本IBMを相手取り損害賠償を求めて提訴した一方、日本IBMも野村に未払い分の報酬が存在するとして約5億6000万円を請求する訴訟を起こし、21年に控訴審判決で野村は約1億1000万円の支払いを命じられた。

 前出・田中氏はいう。

「これまでに法的紛争に発展した日本IBMの事例をみると、自社が提案する製品・パッケージソフトに関するノウハウが不足しており、開発を進めていくと業務に合わないことが判明したといったケースが起きているように感じます」

 大手SIerのSEはいう。

「多額の損失が発生するような大規模システム開発を元請けベンダーとして引き受けることができる企業というのは、国内だと日本IBMや富士通、日立製作所、NTTデータ、アクセンチュア、金融関連システムだと野村総研など数えるほどしかなく、必然的にこれらの企業に案件は集中するので、失敗する大きな案件を担当するベンダーはこれらのうちのどれかになる可能性が高いということになります。また、日本企業のベンダーは、体質的に顧客から無理難題を押し付けられても、ある程度なら対応してしまうという傾向がありますが、外資系ベンダーは『それは契約外なのでできない』『追加費用がかかります』とドライな対応をする傾向があり、そうした点も今回のように裁判に発展する結果につながった可能性もあるかもしれません」

(文=Business Journal編集部)

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